君の知らない空
#9 失くしたくない

◇ 大切にしたいもの



「橙子、起きなさい! 早く早く!」


階段を駆け上がってくる母のけたたましい声。いったい何があったのか理解できなくて、布団の中に潜り込む。


なかなか寝付けなくて、今さっき寝たばかりだと思ってたのに。お願いだから、そっとしておいて……と布団にしがみつく。


布団を捲った母が私の耳元で、


「今日も送ってもらうんでしょ?もう水色の車が停まってるよ?」


とゆっくりとした口調で告げた。


微睡みの中に沈みかけていた意識が、一気に浮上して現実に引き戻される。飛び起きて時計を見たら、母がくすっと笑った。


「今日はいつもより早いわね、彼はご飯食べてきてるのかしら? 良かったら一緒に食べてもらう?」


母の言うのももっともだ。
私の起きる時間が遅かった訳でもなく、普段と何ら変わらない。


桂一は時間にはキッチリしているけど、今日に限って早過ぎる。そんなに早くから待つ理由って、私がすっぽかして先に行くとでも思ってるからかもしれない。


なんて考えていたら、母が急かすように顔を覗き込む。


「橙子? 起きてる?」

「うん、いいよ。きっと食べてると思うから」

「そう? だったら、おにぎりでも作るから持ってく?」

「うん、そうする」


母は桂一のことを知っている。
学生の頃、付き合ってた頃からずっと。


桂一が家に食事をしに来たこともあるし、帰りが遅くなった時には家まで送ってくれていた。いつも礼儀正しくて、いい子だと母の評価は高かったから別れたことを話したら、少し残念そうな顔をしていた。


挨拶はまだだったけど、結婚を考えていることは両親も気づいていたはずだったからなおさらかもしれない。


また寄りを戻したと思っているのかな……


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