Secret Lover's Night 【連載版】
千彩がその部屋から出されたのは、あまりの空腹に目を覚まして一頻り喚いた後だった。


「お腹空いたよー」


力無くベッドに横たわり、最後の力を振り絞って足をバタバタと動かす千彩。それと同時にカチャッと扉が開き、千彩をここへと連れ去った時雨が姿を現した。

「千彩様、お待たせいたしました。お食事の用意が出来ました」
「ご飯ー!遅いっ!」

空腹の千彩の頭の中には、ご飯のことばかりで。次に誰かがここへ来たらどうして自分がここへ連れて来られたのかを尋ねようと思っていたことなど、もう頭の隅にも残ってはいなかった。

「もー!ちさ何回もお腹空いたって言ったのに!」
「申し訳ございません」
「ご飯どこ?お腹と背中がくっつくよー」

自分のお腹をポンポンと叩きながら抗議する千彩に、時雨はふっと表情を緩ませる。けれど、それを一瞬で戻し、さぁ…と無表情で千彩の手を引いた。

「旦那様がお待ちです」
「だんなさま?誰?」
「こちらでお待ちです。さぁ、どうぞ」

柔らかな絨毯の上を歩き辿り着いたのは、大きな木製の扉の前だった。ギィィッと重そうな音が響き、時雨の手によってそれが開かれる。一番に目に入ったのは、入れられていた部屋にあったものよりも数倍大きなシャンデリアだった。

「わー!すごーい!」

言うまでもなく、千彩の目はそれに釘付けだ。両手を上に向けて広げ、シャンデリアの下でくるくると回る千彩。あまりのはしゃぎぶりに、千彩をここまで案内した時雨も戸惑った。

「ち、千彩様」
「んー?」

くるくると回りながら首を傾げた千彩は、ふと時雨以外の人物が自分を見ていることに気付き動きを止めた。

「あれ?知らない人」
「千彩様、旦那様でございます」
「だんなさま?」
「初めまして、千彩ちゃん」

にっこりと笑う旦那様と呼ばれる男は、千彩の目には自分とさほど年が変わらないように見えた。晴人よりも随分と幼く、どちらかと言えばメーシーと雰囲気の良く似た中世的な男だった。

「誰ですか?」
「僕は、司馬渚」
「しばなぎさ?」
「渚だよ」
「なぎさ。うん。覚えた!」

ニッと笑顔を見せる千彩に、渚は不意に手を伸ばす。けれど、それに気付いた千彩が一歩後ろに引いた。

「千彩ちゃん?」
「ちさ、お家に帰らないと。はるが心配する」
「ハル?」
「ちさのカレシ。世界で一番愛してる人!」

千彩の言葉に、渚の表情が歪む。そのままフルフルと大きく首を振り、ガシッと千彩の肩を掴んで詰め寄った。

「千彩ちゃんは、これからここで暮すんだ」
「え?違うよ。ちさははると一緒に暮らすの」
「ううん。僕と」

そのまま抱き締められ、あまりの驚きに千彩は声も出せずに固まった。

怖い。
怖い。
でも、何だか悲しい。

そんな思いが千彩の中で渦を巻いた。
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