情炎の焔~危険な戦国軍師~
「某が三成殿と出会ったのは忍城攻めの時だ」


1590年、秀吉様の関東平定のため、小田原征伐の際に起こった忍城攻め。


その時、司令塔となったのが三成様。


籠城した成田氏長殿らに対し、三成様は石田堤と呼ばれる堤防を作って水攻めにしたのだ。


とは言っても、実際は三成様はもっと力でねじ伏せるやり方をした方がいいと提案したが、秀吉様があくまでも水攻めで士気を折るやり方を望んで指示していたという。


前田利家様や上杉景勝様らも参戦したものの結局、忍城は落とされず北条氏の小田原開城によって降伏したそうだ。


そんな風に私は、本とゲームで得た知識を記憶の中から引っ張り出した。


「三成殿はその時、秀吉様に指揮を任されており、そこで意気投合してな。主を一途に慕い、また一方で民らを気遣い、慕われる三成殿の姿は戦の世には珍しく、高潔であった」


戦の世と幸村様は言ったけど、戦のない現代に生まれた私からしても彼は眩しいほど清廉に堂々と生きていたと思う。


「本当にそうですね。どうしてそんな人が死ななきゃいけなかったんでしょうか。それが今でも悔しくて」


「乱世は常にこうして不条理なことが起きる」


「ええ。綺麗な生き方だけじゃ、いや、綺麗な生き方であればあるほど不条理かもしれません」


実際、関ヶ原の前に三成様が奇襲に賛成してくれていたら運命が変わっていた可能性もありそうだし。


「関ヶ原ではかけがえなき友、そして義父(ちち)上を失ったからな」


そうか。


奥方様である竹林院様。


確か大谷吉継様のご息女だ。


…吉継様。


あの方は三成様に家康殿への降伏を勧めたものの、結局は彼の固い意志を尊重し、そして散っていってしまった。


三成様が負けると断言しながらも共に戦う道を選んだ彼の生き様もまた綺麗だった。


そんな美しい友や義父を関ヶ原の戦いでいっぺんに失った幸村様の悲しみはいかほどのものだったのか。


「友衣殿、すまぬな。昔話に付き合わせてしまった」


「とんでもないです。むしろ嬉しかったです。幸村様の三成様への思いが聞けて」


「そなたは今も三成殿のことをとても慕っているのだな」


幸村様は優しく目を細めた。


「はい。口では突き放しながらも私をいつも心配して気にかけて下さり、守ってくれました」


彼を亡くしてしまった今はこうして何度でも思い出そう。


そうすれば、何も出来なかった私だけど少しは恩返しになりますかね?


三成様…。
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