大人的恋愛事情 SS
「なあ、ここ抜けて他で飲みなおさねえ?」
総務の部長がトイレに立った瞬間、思わずそう声を掛けていた。
他の人間に聞こえないように、小さく囁いた俺に、繭が視線を向け一瞬怪訝そうな顔をする。
断られたら断られた時……。
そう考えていると、酔いのせいか少し潤む目で軽く頷いた繭。
「いいですね」
「部長が戻って来る前に先に出てろよ」
俺がそう言うと、わかったと言うように、迷いなく何事もないかのように席を立った。
一瞬後に、隣で別の人間と話している同僚に声を掛ける。
「悪い、帰るわ」
「もう?」
「プレゼンの資料、やっぱ気になって……。家帰ってもう一度、目通す」
適当な嘘を吐き、席を立つと同僚が笑った。
「なんだ? 負け知らずの藤井にしては随分弱気なんだな。資料なんかよりお前の説得力あるプレゼンでカバーできるだろ」
そう言われて、確かに弱気だと思えた。
本当に繭が俺と飲みに行く気なのかどうなのか……。