主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-【短編集】※次作鋭意考案中※
明け方、丙がやましい思いを抱えながら家路についた時、若葉と2人で使っている部屋からは激しく咳き込む音が聞こえた。

慌てて襖を開けて部屋に入ると…若葉は相変わらず整えられた床の上に正座してじっと待ち続けていたのか、寒さで顔色は真っ白になっていた。


「わ、若葉……」


「…ひのえちゃん、お帰りなさい。…ちゃんと帰って来てくれてありがとう」


部屋に入った時、若葉が手に何かを握りしめて隠したのが少しだけ見えた。

丙は目の端で若葉の握り拳を見つめながら、唇の端に何か赤いものがついているのを確認した。


「若葉…血を吐いてるのか!?見せろ!」


「ゃ…っ、大丈夫だから…」


頑なに拳を開こうとしない若葉の指の隙間から取り出したのは、真っ赤に染まった手拭い。

元々身体が弱いことは知っていたが、この量は…尋常ではない。

真っ青になった丙は若葉を床に横たえさせようとしたが、その腕を擦り抜けて立ち上がった若葉は、能面のような無表情に作り笑顔を浮かべて乱暴に唇を拭った。



「畑仕事に行って来るね。ひのえちゃんは寝てていいから」


「なに言ってるんだ、俺も一緒に…」


「ねえひのちゃん…。今まで…ごめんね」


「……え…?若葉…何を言って…」


「私がひのえちゃんを狂わせたんだよね。あの人…大切にしてあげなきゃ。赤ちゃん…楽しみだね」


「っ、わ、若葉…!?な…っ、俺の後をつけたのか…?」



若葉はそれに応えず、薄着のまま部屋を出た。

丙が後を追いかけてきたが、それを振り切るようにして足早に屋敷を出ると、向かったのは畑ではなく、赤鬼と青鬼が番をしている幽玄橋の前だった。


「おお若葉か。久しぶりだな、息吹がいつもお前を心配している。…血の匂いがするが、どうした?」


「赤鬼…青鬼……私がもしここを渡って平安町に行こうとしたら、私はどうなるの?赤鬼たちはどうするの?」


山のような巨体の鬼2匹は顔を見合わせて、手に持っていた棍棒をどすんと地面に置いて笑った。


「そりゃ殺すに決まっている。これは幽玄町に住む者の規則だからな。ここを自由に渡っていい人は、晴明と息吹だけだ」


――ここを無断で渡ろうと思えば、赤鬼たちが殺してくれる…

それを確認した若葉は、無表情のまま一歩、幽玄橋に脚を踏み込もうとしたが、赤鬼と青鬼に立ち塞がれて首を振られた。


「やめておけ。お前を殺してしまえば俺たちは一生息吹に顔向けができなくなる。あの子に嫌われるようなことには絶対なりたくないんだ」


2匹に迷惑をかけてしまう――

踵を返した若葉は、また激しく咳き込みながらふらふらした足取りでどこかへ行った。

赤鬼と青鬼は顔を見合わせると、こくんと頷いた赤鬼は、幽玄町の最奥にある主さまの屋敷へ向かった。
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