ミルクの追憶
「キミなんかしらないよ」
二コラが帰国して初めて言った言葉だ。
クロエの顔を見て声を聴いて、愛していると告げてもそれは変わらなかった。
「知らないって言ってるじゃないか、しつこいな。さぁ、行こうか、……クロエ」
クロエは耳を疑った。
二コラは両手に抱えたあの憎きヴァイオリンをクロエと呼んだのだ。
信じられなかった。愛だけでなく名前までも奪われてしまった。
「クロエ、クロエ、今日は何を演奏しよう。キミのおかげでぼくの腕はぐっとあがったってみんな言ってくれるんだ。……愛してるよ、クロエ」
いい加減にして。
クロエの心ははちきれそうになって、握りしめた拳が震えた。
愛しい彼が自分の名前を呼び、愛していると囁く――それなのにその眼差しは自分ではなくヴァイオリンに向けられている。
耐えられなかった、絶望だった。
(…二コラはわたしのことを、忘れてしまったのね)
大粒の涙がクロエの頬を伝った。