オレンジ
「もう、いいです。ちゃんと返してくれたから」
「あ、でも…」
「でも?」

そう言いながら、彼の顔を見上げる。
155センチのあたしが7センチヒールを履いていてもまだ、少し首を上に傾けないと彼とあたしの視線はぶつからない。

目が合うと、あたしは訝しげな表情をし
ていたに違いないのに、彼はくしゃっと
目尻に皺を寄せて、笑った。

「いや、なんでもない」

そう言うやいなや、彼は再び目を逸らした。

かと思うと、そのまますぐにあたしに背を向ける。
歩き出すとほぼ同時に、首だけであたしの方を振り向いて、言った。


「ほんと、困らせて悪かったね。じゃ、
また」

口元には穏やかな笑みがまだかすかに残っていたけれど、目尻の皺はもう消えて
いた。

あたしが言葉を紡ぐ隙すら与えず、彼の背中は帰宅ラッシュの駅の雑踏に消えていった。
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