オレンジ
アップルパイ〜ayano〜
「彩乃ちゃん、最近なんかいいことあったの?」
「え?」
ケーキの並んだショーケースのガラスを拭いていたあたしに、あゆみさんは突然言った。
「どうしてですか?」
焼き上がったばかりのアップルパイをショーケースに並べていたあゆみさんはその手を止めると、ショーケースから身を乗り出すようにして、あたしに顔を近付ける。
「最近すごく楽しそうだから」
「…そうですか?」
「彼でもできた?」
「そんなんじゃないですよ」
ちょうどランチタイムが終わり、お客さんは誰もいなくなったばかりの昼下がり。
夏休みに入り、普段よりも多くシフトに入れてもらっているので、その分あゆみさんと顔を合わせている時間も長くなっている。
そのあゆみさんに、あたしが浮かれているように見えていたのかと思うとなんだか気恥ずかしい。
「なんだ、違うの?絶対そうだと思ったんだけどなぁ」
そう言いながら、厨房の方へ戻って行くあゆみさんの後ろ姿を見つめながら、あたしは彼のことを思い出す。
江ノ島の後、もう一度会った。
今度は車じゃなくて、新宿で待ち合わせて、映画を観てからご飯を食べた。
ただそれだけだった。
今度は、江ノ島のときにしたような話はなにひとつ話さなかった。