とある神官の話
『泣かないで、シエナ。私は泣き顔を見にきたわけじゃない―――。私が死んだのはシエナに刺されたからではないよ。それにシエナだって戦っていたはずだ。それは凄いことなんだぞ』
悪戯っぽく笑う父は、最期に見たときと同じだった。
父は私のせいじゃないというが、そういわれても『だけど気がすまないっていう顔をしている』と続ける。
『ならいつまでたてば癒えるのだろう?一年?二年?いくらたっても、消えたりはしない――――狡い言い方だが、私はもういないのだ。いない人のことを病んでも、どうにもならない。死んだ人が生きている人にどうにもできないように。後悔していること、傷も、思い出と同じように抱えるしかないんだ――――あくまでも私の考え、だが』
父は私より長く生きていた。
あのアガレス・リッヒィンデルや、ヨウカハイネン・シュトルハウゼンらのように。そして彼らを友人とした。彼らだけじゃない。アーレンス・ロッシュだってそうだ。
誰もが、ずっと幸せに生きてきたわけではない。
悲しみや苦しみも多くあったはず。
わかっている。
だから、私は出来るだけ前を向いて生きてきたんだから。
『私は長く生きてきた。その中で、シエナと過ごした日々に後悔などないよ』
『私は、たくさんあるよ。もっといろんなこと話していたらとか、出掛けられたらとか……いろんなこと』
『ふふ。そうだな。私もそう思う。挙げればきりがないくらい。恋人ができたら殴るとか』
『い、いないよそんなの…』
『おや、そうなのか?いい男だとは思うんだがね。殴りがいもありそうだし…』
『え、え!?』
いったいなんのことを言っているのか。
だいたい、あの人のことはもしかしたら知っているのかもしれない。だって教皇の息子だから。だけど、まさか…。
私が鉄格子の中で聞いた様々な"何か"に、聞き覚えのあるものがあった。
涙が途切れ、ああどうしたものかとおろおろした。湿った頬を強引に拭う。多分、からかわれたのだ。悪戯っぽく。
『私の娘。もう、わかっているね。悲しむことは悪いことじゃない。だが、同時に前を向かなくてはならないことを』
『うん…』
鉄格子が、粒子となって消えた。突然だった。暗い回りが、一変。青空と草原に変わる。空は吸い込まれそうな色で、ああ、こんな色だったと思う。髪の毛を風が吹いてきて揺らす。
父は先に立ち上がって、私に手を伸ばす。
大好きな手。何でも出来る人。凄い人。だけど服のセンスが壊滅してる人……。
立ち上がったら、手足の鎖もまた粒子となって消えていく。すべてが鮮明だった。
――――さん。
私は何かを聞いた。多分、声だ。
振り向いても、そこには草原がずっと続いているだけ。
一体、誰…?
『シエナを呼んでるんだよ。―――しかしだね、ずいぶんあれだっただろう?』
『あれって?』
『私がいなくなったあと、色んな人に出会ったはず――――奇人変人ばかりに、な。どうも私は昔から、そういう連中ばかりを引き寄せるらしい』
『中々、楽しいよ。その、ついてけないこともあるし困ることもあるけど……』
もしかして、と思った。
もしかして、今の声はって。
私は『父さん』と呼んだ。『うん?』と返ってくるのが、物凄く嬉しい。だけど、もう時間がないはずだ。だって、父はうっすら透けてきている。声も少しずつ大き
くなっていた。
たくさんしたいことがあった。
一緒にいたかった。
話すことなどいくらでもある。
だけど、時間がないなら。
『私、セラヴォルグ・フィンデルの娘になるて、よかった』
『―――』
『ずっと、大好きだから』
これは、言いたかった。これだけでも、言いたかったのだ。
父は『ありがとう。シエナ』といって、私を抱き締めた。抱き締めるというより、私はしがみつく、といった方がよかったかもしれない。父もまた、強く抱き締めてくれた。懐かしい。また会えるなんて、思ってなかった。
――――あっという間だった。
離れると、父はふっと、微笑んだ。
そして、消えた。
『ありがとう…父さん』
風が強く吹いていった。
―――――シエナさん。
まただ。
しかも、はっきりと名前を呼ばれた。落ちた涙を拭って、私は声の主を考えながら歩いた。
草原はどこまで続いているのか……。
見たところでは、ずっと続いている。果てなどあるのだろうか、というくらい。
――――あの人ではないのか。
可能性はないとる言い切れない。だけど、真っ先に浮かぶなんて…。