とある神官の話
『こんなところに一人でいて、寂しくないのか』
『私は……』
寂しい。
外からの声は、怖い。けれど羨ましさもあった。そこには何があるのといいたかった。誰かに。私以外のなにかに。けれど、と私はじゃらりと音をたてた鎖を見た。鎖は私を解き放たない。悲しいかどうかといったら、少しだけだ。あんな場所、どうってことはない。
『本当に?』
綺麗な人は、あくまでも私に問う。責めるような、疑うような、そんなものは感じられなかった。ただ、優しく言葉をくれる。
その言葉が、何故か痛い。
『私は、寂しい』
『さみしい?』
『そうだ。人は一人で生きていけないものだからね――――違うかい?シエナ』
『…………、今なんて』
『君の名前だよ。シエナ・フィンデル』
名前。
そう、か。私にも名前があったのか。今までずっと、"わたし"でしかなかった。名前は、すんなり染み込むように思い出す。だが、何故この人が知っているのだろう。
座ったままの私に、その人は視線を会わせるように跪く。
私は、その視線が狂わせるように思えて怯えた。得体の知れない何かを感じた。また鎖が音をたてる。逃れられない。
『君の名前は、間違いなくシエナだ。だが、ファミリーネームは君と出会った当時、調べてもあやふやだった』
『貴方、私を……?』
その人は、『知っているよ。ものすごく』と微笑んだ。
『フィンデルというファミリーネームは、私があげたんだよ。それから、私と君が知るほもう一つの名前もね……。君が生きていく上で困らないように。だけど、そう。君は子供で、私には子供を育てたことがなかったから、いろいろ君に迷惑をかけたと思う。無駄に長く生きているくせに、わからないことも多いものだ――――』
『………』
『君も、戸惑っていた。それもそうだ。君にとって私は、君を虐げたりしていた大人らと同じ大人だし、見知らぬ男だからね。怖いと思われても可笑しくない。まして私は、変な力を使う化物でもあるし』
『違う!』
否定の言葉が散らばるように響いた。だが、何故そんな強く否定したのかわからない。
この人は私を知っているのに、私はあまり思い出せていない。
霞みがかっている中で、ときおり誰かが私に向かって話しかけているのがわかる。手をとるのもわかる。だが、なにかが邪魔をする。邪魔をしないで。
戸惑う私は、気まずくなって一瞬視線をはずした。だが、再びまた会わせたら、その人は笑っていた。前にもそうやって、否定してくれたと。
頭のなかに、何かが広がっていく。
思い出せない。思い出したらいけない?わからない。わからない。
『――――シュエルリエナ』
私は、シエナ。
シエナ・フィンデル。
ぐるりとした。目の前の、鉄格子の向こうにいる綺麗な人は、なんとも言えない顔をしていた。頭の中が、混ざりあう。いろんな人が出てきて、名前を呼ぶ。呼ばないで。いや、これは嘘だ。呼んでほしかった。呼ばれると、私は私だと存在を確認できるから。
過去。
今。
どうして、忘れてしまっていたのだろう。ものすごく大切だったはずのことも、全部。
この人が誰なのか。
そんなの、決まっている。
私の、大好きな人。
『シエナ?』
『ごめん、なさい…ごめんなさい!』
思い出したら、止まらなかった。すべて。虚ろだってものが色づいたかわりに、私は後悔とこの人に自分がしたことさえ、さらけ出す。
私に泣く価値なんてあるのだろうか。私のせいだった。そう。私が、この人を…!
――――私は、父を刺したのだ。
操られていたとはいえ、覚えている。私は間違いなく、殺そうとしたのだ。父は私を助けようとしてくれていたのに。
なのに、私は。
後悔していた。私のせいじゃない。そういってくれた人たちに慰められている自分が、嫌いになった。大嫌いだ。わたしなんて。何度も、私はどうしてと思った。どうして、私は生きているのだろうか。いっそのことあのとき死んでしまったら、父は死なずに済んだのに。