ふるさとの抵抗~紅い菊の伝説4~
 秋の陽はもう暮れていた。
 森崎は有紀に教えられた住所を頼りに天野恵理子の家を訪れた。彼の気配を感じたのか、庭に繋がれているらしい犬が吠え立てている。恵理子の家は築三十年ほど経っているのだろう、所々塗装がはげ、痛みが目立っていた。
 この家を訪ねる前に森崎は近所で恵理子のことを訊いて回っていた。それによると彼女の評判はあまりよくなかった。以前、犬屋敷、猫屋敷と呼ばれていた頃はこの付近は動物の異臭で満ちていた。何度も苦情を入れたのだが、恵理子はそれを聞き入れなかった。それで住民達は区役所に苦情を入れ、最終的にこの家の動物たちは処分されることになった。恵理子と周辺の住人にはその事で深い溝が出来ていた。
 恵理子の家からは微かな獣の臭いがしていた。犬の声といい、恵理子はまだ動物を複数匹飼っている様子だった。
 森崎は玄関脇に取り付けられている古い呼び鈴を押した。
 錆び付いたような金属音が扉の向こうから聞こえてきた。
 暫くして中から機嫌の悪そうな表情で恵理子が現れた。
 扉にチェーンをかけたままで中から覗き込むように森崎の方を見つめている。
「天野さんですか?」
 森崎の言葉に恵理子は警戒しながら応えた。
 森崎は自己紹介をすると、タロのその後について訪ねてみた。
「あの犬なら譲り受けたその日に貰われていきましたよ」
 恵理子は五年前のことを思い返してそう言った。
「それで、譲り受けられた方のご住所とか教えていただけませんか?」
 森崎の言葉を聞くと恵理子の機嫌は更に悪くなった。
「なんでそんなこと聞きたいの?」
「いえ、五年前の記事が好評でしたので、その追跡記事を書くことになりましたので…」
 森崎は取材の趣旨を簡単に説明した。
 それでも恵理子の態度は柔らがなかった。
「お譲りした方のことはお教えできません。そういうお約束なので…」
 恵理子はそう言うと扉を閉めようとした。
 森崎はそれをさせまいと左足のつま先を扉の隙間に突っ込んだ。鈍い痛みが彼の左足を走った。
「何をするんです」
「天野さん、タロのことを調べられると何か都合の悪いことでもあるのですか?」
「そんなこと、ある訳が無いじゃない」
「それなら教えてくださいよ。タロを譲り受けた方のことを…」
「それは出来ません!」
 恵理子は扉の隙間から身体を乗り出している森崎を突き飛ばした。
 森崎の身体が扉から離れる。
 その隙を突いて恵理子は扉を閉ざしてしまった。
 その後は何度呼び鈴をを押したが、恵理子が出てくることはなかった。
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