結婚白書Ⅲ 【風花】


「この部屋は眺めがいいね 海岸線まで一望できるんだ」



マンションの最上階にある部屋

綺麗に片付いた室内に余計な物はなく 彼女の印象そのものだった


壁に向かってキッチンが配置され

手際よくコーヒーを淹れる彼女の姿が見てとれた


 
「そうなんです ここを選んだのは この眺めが気に入ったからなんです

でも 築20年ですから古いんですよ」



肩をすくめてイタズラっぽく笑う顔

クールな彼女はどこにもなかった



「お疲れになったでしょう どうぞソファにおかけくださいね」



私を気遣う優しさが嬉しかった


メガネを外し テーブルの上に置いて目頭を押さえる


彼女が言うように疲れていた

だが それは体の疲れではない


自宅に帰ってから心を占めている空しさのせい

妻への憤りや反発さえも無意味に感じていた

私一人がそう感じたところで 妻は私の気持ちなど知る由もないだろう




「遠野課長 メガネをはずすと優しいお顔なんですね」



桐原さんが私を覗き込むようにしている



「そう見えるかい? めったに外さないのに 見られてしまったね」



彼女との何気ない会話は 空しさを消し去ってくれそうだった




彼女は部屋に入ってすぐ 上に羽織っていた薄手のカーディガンを脱いだ

すると 肩まで大きくカットされたニットがあらわれた

大きくあいた襟の曲線は 彼女の上半身を美しく引き立てていた



コーヒーの香りが漂ってきた

いつも知っている香りと違い 敏感になっている私の臭覚を刺激する 



「息子さん 久しぶりに会われたんでしょう?大喜びだったでしょうね」



ずっと避けてきた家族の話題

ここで言ってしまおうか……

いや わざわざ彼女に言う必要もない 妻への不信


でも 誰かに聞いて欲しかった



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