結婚白書Ⅲ 【風花】


「僕は朋代しか見てないよ」


「本当かしら……」


「あぁ 君しか目に入らない」



彼女の長い髪を梳きながら ゆっくりと口づけた

言葉とは裏腹に 少しずつ体が素直になっていく



「僕のことを いつまで苗字で呼ぶのかな 名前で呼んで欲しいね」


「でも……」


「でも なに?呼べない理由でもあるの?」



朋代の口が微かに動いた



「そんな小さな声じゃ聞こえないよ」


「衛さん……」



私を呼ぶ朋代の声に応えるように 彼女の体をかき抱き 接吻をくりかえす 


お互いに離れならない相手だとわかっている

こんな相手にめぐり合えるとは……   


朋代の嫉妬が嬉しくて ”君しか見えないよ”と 耳元でもう一度ささやいた





秋の柔らかい日差しが差し込んでいた

冷気を帯びた朝の空気に いつもの休日より早く目が覚めた

温かい朋代の肌が腕の中にあった

昨夜の余韻を感じながら ゆっくり抱きしめる


川本さんへの嫉妬が 朋代の体をより敏感にした

いつも以上に 私の腕の中で乱れた朋代が 

今は 安心しきった顔で眠っていた


そんな彼女が 愛おしく じっと見つめていると

私の視線を感じたのか 彼女の目が薄く開いた



「起きてたの? もしかして……私の寝顔を見てた?」


「うん 笑ったり 眉間に皺を寄せたり それに口をあけてたなぁ」


「ウソ! 意地悪ね」



甘い夜を過ごしたあとの目覚めの気恥ずかしさを 他愛のない会話でつなぐ





遅い朝食をとっているときだった


誰かの訪問を告げるベルの音


川本さんだった 




「あの……昨日はありがとうございました 

お礼に食事を準備してきたんです どうぞ」


「お礼なんて 私は何もしてないよ 送ったことなら気にしないで


それより ここに来るなんて感心しないね 私は君の上司だからね 

公私の別はつけたいと思ってる」



彼女はなかなか帰ろうとしなかった

私が部屋に招き入れるとでも思っているのだろうか



「でも 今日は休日です プライベートでも上司と部下なんですか?」


「そうだ こんなところを誰かに見られたらどうする 

これは ありがたく頂くよ もう帰りなさい」



”帰りなさい”の言葉に 彼女は ようやく背中をむけて歩き出した




< 72 / 132 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop