クリスマスの夢 ~絡む指 強引な誘い 背には壁 番外編~

それぞれの想い


 サービス業の香月は、クリスマスイブである12月24日も暦に関係なく仕事だ。

 既に7年も、盆正月、年末年始、GWにクリスマス、全て無関係の生活を送り慣れているため、今更クリスマスが仕事だと嘆くこともない。

 だけど今夜は、クリスマスを意識して巽が帰ってきてくれる。

 婚約したからといって帰宅する回数が増えたわけでもなく、仕事中心の生活を送る巽は、それでも、香月からは切り離せない存在だ。

 巽がいてくれたから、ここまで生きてこられたのだと信じている。

 巽がいなかったら、こんなにまっすぐに生きられてはいない。

 そう、心に強い絆を感じて、前を見る。

 本日、店舗の応援に来ている香月は、改装したばかりの東都シティ本店をぐるりと見渡し、走り抜けて来た7年間をほんの一瞬、遠くに見ていた。

 今年29歳になり、ようやく婚約を掴んだ。時計も仕事中は外しているが、更衣室に入るまでは付けていたし、良い状態で今年を終えられそうな予感がしている。

 来年の9月には30歳になってしまうが、それまでの結婚式は無理だとしても、何らかの結末はあるに違いないと願っている。

 ぼんやり売り場を眺めて数秒考えていたが次の瞬間、来店した客に声をかけられ、僅かな現実逃避は強制終了させられる。

「香月さん」

「はい」

 反射で営業スマイルで振り返ったが、客に名前を呼ばれることは少なく、若干嫌な予感がしたのは確かだった。

「あ、どうもこんにちは!」

 咄嗟に名前が出なかったのは、言い慣れていないせいだ。

 おそらく相手は、こちらの名札を一応確認してから声をかけてきたものだと思われる。

「こんにちは。お仕事ですか、大変ですね」

 昨日とは打って変わって、真っ白のコートに黒いブーツを履いた烏丸 萌絵は、両耳にぶら下がっているシャネルの白いピアスのせいか、それはもうお嬢様以外の何物でもなかった。

「ええ、年末年始も関係なしです……」

「昨日はお邪魔致しました。すみません、私、ショックでディナーもほとんど食べられなくて……」

 返す言葉が見つからなかった。

 自分と四対はケンカはしたものの、2人でケーキを作って夜まで飲み明かしたというのに、一番楽しみにしていた烏丸のことなどすっかり忘れていたのだから。

「あ、あの……」

「香月さんが説得してくれるって、巽さんはずっと言ってくれてたんですけど……」

 少し俯くと、ライトブラウンの髪の毛がサラりと落ちる。今日はストレートの気分のようだ。

「そう……ですね……。昨日は大事な人との食事会があったとかで、疲れてるとは言ってました。あのディナーに来る前にもう食事をしていたそうです」

「野上(のがみ)政調会長ですわね……あの方、夕食が早いから」

 さすが、話が通じるのはお金持ちの証だ。

「…………。あの、また、今度……クリスマスとか年末は忙しいから、年明けとかどうでしょう? 今度は本当にオーストラリアに」

 何も提案しないのも悪いと思い、思いつくがままに言葉を発した。

「4人で、ですか?」

 烏丸は目線がほとんど同じ位置にあるにも関わらず、あえて上目使いで聞いてきた。

「えっ、ええ……。1月、末くらいなら皆暇なんじゃないですか? いえあの、私そうですけど……」

「そうですね……。年始のパーティも2月くらいなら落ち着いています。四対さん、来て下さるかしら……」

「でも、オーストラリアの話はしてましたよ。ただ、クリスマスはみんな忙しくてどっちにしろ無理だっただろうって」

「…………」

 どっちにしろ、の言葉が余計だったかな、と不安になる。

「あの、別にオーストラリアじゃなくても、ねえ、なんなら、沖縄でも同じでしょうし」

「そうですね……それなら、一泊でも十分です」

 一体何泊するつもりなんだろうと不安になってくる。一番心配なのは、巽の仕事だ。遊びのオーストラリアに何泊もしてくれるなんて、そんな……。

「一番心配なのは、四対さんのスケジュールですね」

 烏丸は同じようなことを考えていたのかそう呟くので、

「四対さんはまだ、ダイビングとか好きだから合わせてくれるかもしれませんけど、巽は……」

「巽さんは、行きたいって言ってましたよ。オーストラリア。ダイビングをしたい、とも」

「へー……」

 おそらくうまく烏丸に話を合わせて言ったんだろうが、それにしても、この烏丸を手玉に取っておくことにそれほど利益があるとは、世界は香月には分からない価値で動いているのかもしれない、と思う。

「私も一回したけど、良かったですね。その時は一泊もできなかったけど、できたら2泊くらいしたいですね」

 香月は四対と行ったときのどんちゃん騒ぎを思い出しながら言う。

「私も、学生最後なので、できたら何十泊もしたいです」

 その笑顔から察するに冗談だろうが、それにしても金銭感覚だけは冗談にはとれない。

「えっと、じゃあ、2月の頭くらいに、ですね……」

 さて、ここで「四対さんに聞いておきます」の一言を出すべきかどうか、迷う。

「じゃあ、巽さんには私が聞いておきます」

 香月はまさかそのセリフが出るか!?と驚いて烏丸を見つめた。

 そこには、憎らしいくらいに可愛らしく整った、少しピンクがかった顔が穏やかな笑顔を見せている。

「私が先に会いますものね。7時からのディナー。突然のお誘いなのに引き受けて下さるなんて、本当に大人の方って素敵です。

 香月さんが羨ましいですわ」

 こちらの驚きに全く気付いていないようなので、そのような予定を全く聞いていなかった香月も適当に相槌を打った。

「しかも、明日オープンのお店の試食をさせて下さるんですよ! スカイ東京のオーナーが新たに展開させた店で、すごく注目されてる所です!! 四対さんのことでめそめそしてる私を元気づけようとしてくださって、本当に感謝しています。

 私、昨日のエレベーターの前で、もう諦めなきゃいけないって思ったんです。けど、巽さんが、そんなことはない、だとしたら俺も彼女を諦めないといけないことになるって。

 そう言われればそうですよね。私、そんなこと全く考えずに言葉を発してしまって。

 それから、四対さんと香月さんが今までどんな風に仲良くなってきたかを話て下さったんです。それを聞いて、私も納得して、お2人は本当の親友なんだなって納得しました。

 だから巽さんも2人を容認しているっておっしゃってました。

 だけど、巽さんが知らないところでも2人は会っているだろうから、それが時々心配で……今日も仕事だと言いながら2人で会ってるかもしれないって不安そうにしてらっしゃったので私、真籐さんに香月さんのことを聞いてここまで来たんです!

 会ったら報告してあげなくちゃ、心配しなくていいですよって」

 烏丸の笑顔はいつも通り可愛らしい。頬のピンクのチークが、まるで本当に赤みが差しているように見える。

「そんな……」

 そんな、巽が不安に?

 しかも、それを烏丸に話す??

「じゃあ私はそろそろこれで失礼します。2月のお話、四対さんにしてみてくださいね。良いお返事、お待ちしております」

 烏丸は、笑顔で一礼するとくるりと向き直り、あっさり去っていく。

 悪気はないようだった。

 四対のことが好きで、巽のことは大人として尊敬している、そうとしか見えなかった。

 そうとしか見えなかったのに、香月の心の中では、確実にふつふつと何かが湧き上がる音が聞こえ始めていた。

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