ジムノペディ
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”エステサロンカシオペア”のイメージモデル《ドリアン》!謎に包まれた私生活”

”分かっているのは、ドリアンという名前だけ。年齢も国籍も不明。

その端整な容姿と、強烈な眼差しで、たちまち女性の心を掴んだ美しい・・・”

(ドリアン・・・この男だ。いったい何者なんだ?綾香の恋人?まさか・・・な。

ただでさえ堅物なのに、あんな恋人がいたら婚約なんてする女じゃない)

ノックの音がした。

卓が週刊誌を閉じるのとほぼ同時に、要が常務室に入ってきた。

「おはようございます」

「おはよう」

今朝の卓は、眼を合わせることもなくパソコンに向かっていた。

しばらくして卓が席を外すと、

要はデスクの上にある週刊誌を手に取った。

ドリアンの写真を見ると、体に火がついたように怒りでいっぱいになっていく・・・。

ガチャ!

ドアが開くと、

要は急いで週刊誌をデスクに戻した。

「北川?今夜の会食だけど、気分が優れなくて行けそうにない」

「M建設の社長との会食は重要ですが そういうことなら仕方ありませんね。

先方には、なんとか先に延ばしてもらうように伝えておきます」

「いや・・・僕が電話して直接言うから、君はもう帰っていいよ」

そう言うと卓は、パソコンからスケジュール表を出して電話に手を伸ばした。

「はい」

今までこんなことは一度もなかった。

重要度の高いスケジュールをキャンセルするなんて!

(いったいどうして?)

言葉にならない嫌な感情が、要の心の中で激しく掻き乱れていた。



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ドリアンは、テレビの前でドラマを観ていた。

『男と女って食事するところから、全てが始まるんですよね』

洒落たレストランで、そう言う女優の言葉が、気になってしょうがない。

人間のように食事することなど、ドリアンには不可能だからだ。

それだけではない、人形というだけで

普通の恋人同士のように振舞うことなど出来ないのだ。



仕事を終わらせた綾香が、プライベートルームに入ってきた。

「見て!あなたのPR用の新しい写真よ」

綾香は、満足げに それをドリアンに見せた。

「素敵でしょ。溜息つくほどよ」


「アヤカ?」

「ん?」

「僕は、アヤカに何をしてあげられる?

ただの人形が、それ以上のことを望んだらいけないのかな?」

綾香は驚いた。

「どうして そう思うの? 」

綾香が、ふとドリアンの視線の先を見ると

テレビに、綺麗なレストランで食事をする男女の姿が映っていた。

「私は、こうして一緒にいられるのなら何も望まない。

一緒に食事ができなくても、あなたはいつも私を守ってくれている」

「アヤカ・・・」

「それに、あなたが いつかピノキオみたいに人間になる日がくるかもしれないでしょ?」

「人間に?」

「そう。考えてみて!人形が魂を持つことだって奇跡なんだから

人形が人間になるっていう奇跡が起こったとしても不思議じゃないでしょ?

だから、もうそんなことで心を痛めないで」

ドリアンは優しく微笑んで綾香をそっと抱きしめた。



ドリアンは、ふと 嫌な気配を感じて立ち上がった。

ブラインドをずらして窓の外を見る。

「アヤカ・・・今夜は自宅へ帰ったほうがいい」

「え?どうして?」

「一緒にいたいけれど、体がいうことをきかない」

「どういうこと?」

「大丈夫。少し疲れているだけ。ゆっくり休みたい」

「そう・・・か、最近ずっと撮影が続いていたものね」

綾香は、ドリアンと離れたくなかったが、彼の体を思うと仕方ない。

「明日、また会おう」

(愛してる・・・)

ドリアンは、そう心の中で呟くと再び・・・綾香を抱きしめた。









綾香が退社するのを見届けると、エントランスから外に出て

建物に沿うように裏側へ向かって ゆっくり 様子を窺うように歩いていく・・・

(確か、この辺りに人が立っていたはずなのに)

そして、その人は確かに見覚えのある顔だった。

!!

先日、綾香が出かけるのを窓から見ていたときのことを思い出した。

卓という婚約者の車で 迎えに来た あの男だ!!

(いったいここで何をしていたのだろう?)

何故か 胸騒ぎがして仕方がなかった。

あの時の要の表情から、

彼が綾香に対して激しく嫌な感情を抱いていることを

容易に読み取ることが出来たからだ。

ふと何かを踏んだような気がして、足元を見ると

白い紙包みが落ちている。

それを拾って包みを開けると

小さな植物の種子が2粒入っていた。

その2粒の種子を、掌に乗せて転がすように見てみると

それがただの種子でないことに すぐ気付いた。

(!!これは・・・いったい何のためにこんな物が・・・

アイツ・・・何かよからぬ事を考えていなければいいが・・・)

ドリアンが、考え込みながらゆっくりとエントランスへ向かうと

会社の前に一台の車が停止した。

中から卓が出てくると、ドリアンと目が合った。

「き・・・君は」

「・・・・・・」

「綾香さんは?」

「今日は、もう帰りました」

「そう・・・か」

「伝言があれば、伝えますが」

ドリアンは、昨夜この男が言い放った綾香への言葉を

ひとつひとつ思い出していた。

綾香を苦しめる言葉のひとつひとつを・・・・

「中へ・・・・入りますか?」

ドリアンの言葉に頷くと、

二人は中へ入ってエントランスフロアーのソファーに向かい合って座った。

暗い室内で、非常灯だけが煌煌としていたが

ガラス張りの室内は、外からでもよく見える。

要は、二人の動きをじっと隠れて見ていた。

「伝言というのは?」

「結婚式の日が決まったと伝えてほしい」

「・・・・・・」

「ところで、君は謎に包まれている美青年だと世間で騒がれているらしいね」

「フフ・・・人は皆・・・誰しも謎を持っているでしょ」

ドリアンの冷たい微笑がゾクゾクするほど美しい・・・

「たとえば・・・アナタのような二面性を持った人物とか」

「(笑)いや、二面性ではなく僕は三面性でも四面性も持っているよ。

綾香はそれを承知の上で結婚を承諾した。

考えてみれば それを知らない人と結婚するより、ずっと楽だ」

ドリアンは、じっと卓を見つめると、瞳を逸らすことなく卓の隣に座った。

「そう言えば理解できると思うが 僕たちに愛はない」

「それで何を得ることが出来る?」

そう言うと、ドリアンは真っ直ぐに卓の瞳を見つめた。

吸い込まれそうな瞳は、妖艶で危険な眼差しを含んでいる。

卓は、息を呑んだ。

「僕は・・・女性は苦手なんだ。

でも彼女との結婚は、僕にとって たくさんのメリットがある」

「彼女の気持ちは?」

「そんなもの どうでもいいんだよ。愛のない仮面夫婦を一生演じることを

合意の上で・・・」

体が金縛りのように動けない。

接近してくるドリアンの瞳を、息を呑んで見つめることしか出来なかった。

その冷淡な瞳に、卓は恐怖と期待で心が入り乱れていた。

ようやくたどり着いた唇は、想像以上に柔らかい。

甘美な口づけを官能すると、身も心もドリアンの腕の中で溶けてしまいそうだ。

その柔らかい舌を絡めると、何か異物を押し込められそうになる。

「ん?」

卓がそれを拒絶しようとすると

「飲んで!気持ちよくなる媚薬・・・最高の気分が味わえるから」

ドリアンが、一度唇を離してそう囁くように言うと、その二粒を見せた。

「ほら、僕も飲むから、一緒に楽しもうよ」

そう言うと、卓の膝に跨り、ゆっくりと両腕を卓の首に絡め 再び唇を重ねた。

その妖艶な眼差しに、卓はドキドキして期待感で溢れそうだった。

すでに絶頂と同じような感覚で快楽を味わっている。

そしてドリアンは、媚薬だと言う異物をゆっくりと 卓の喉へ 舌で押し込んだ。

綺麗な長い指が、卓の髪に刺しこんでゆっくりと撫でる。

卓は、目の前の妖しく艶やかな美青年を相手に、たまらなく感じていた。



喉が燃えるように熱くなって・・・

そしてそれは 激しくなって 息も出来ないほどに到達すると

「うっ!!」

卓は、喉を掻き毟るような仕草をすると、激しい痙攣と共に倒れて動かなくなった。

ドリアンは乱れたシャツを整えて立ち上がると、

唇を手で拭って動かなくなった卓を見下ろす。

口内に残った、もうひとつのマチンの種子を床に吐き捨てた。

抑えることの出来ない殺意だった。

(でも・・・これでアヤカは自由になったのだ。

たとえ天罰が下っても、アヤカを守ることが出来たのだから)

突然、一人の男が嫉妬に狂ったような形相で入ってきた。


「よくも・・・よくも卓を誘惑しやがって!!」

要は、ドリアン目掛けて突進していった。

二人の体がぶつかった瞬間

ドリアンは、その場に倒れこんだ。

要が両手で掴んだナイフを、ドリアンの体から抜き出す。

(出血していない)

「えっ?化け物か?」

何度も何度もドリアンの体にナイフを突き刺したが、

血が出てこないのだ。


ドリアンは

息が苦しくなっていく中、綾香の顔を思い出して微笑んだ。

二人で過ごした短い時間を初めから・・・・

ひとつ、ひとつ

意識が無くなるまで....________ 。



要は、倒れてピクリとも動かなくなったドリアンを見て

満足そうに微笑えむと

今度はソファーで眠っていると思っている卓の傍へ行ってそっと呟いた。

「裏切り者」

要は一度外へ出ると、鉄製の小さなタンクを持って戻って来た。

もう、彼の心に理性というものは存在していない。

要は、ソファーの周りに

円を描くようにガソリンを撒き始めた。

そして、その円の中へ入ると

ポケットからライターを取り出して、躊躇うことなく点火した。

エントランスフロアーは一瞬にして火の海と化した。

「卓!一緒に死んで!」

そう言って、すでに魂のない卓を抱き起こす。

要は、急いで胸ポケットにあるはずのマチンの種子を探した。

しかし、どうしても見つからない。

「卓?」

息を・・・していない。

その時、初めて全てを把握することができた。

しかし、時すでに遅く 火は目の前に迫ってくる。

要は、愛する卓の亡骸を力いっぱい抱きしめた。

(これで、永遠に結ばれる・・・)

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綾香は、なんとなく胸騒ぎがして会社へ戻ると、

そこには信じられない光景が広がっていた。

消防活動の中、静止する人を押しのけて必死で入っていこうともがくが

なかなか前に進ませてくれない。

「離して!!中に人がいるんです!!すぐに助けないと!!」

綾香は、叫び続けて、その場に座り込んだ。

目の前に拡がる恐ろしい光景が、どうか夢であってほしいと強く願ったが

その光景は、どんどん鮮明になって、

現実なんだと受け止めざるおえなかった。

赤々と燃える炎の中、ふとドリアンの声が聞こえたような気がして耳を澄ませる。

一瞬、周りの雑音も何もかもが止まって聞こえなくなった。

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