もっと美味しい時間
慶太郎さんの彼女は私じゃなくあの人のような感覚に陥り、立っていられなくなる。その身体を支えるため思わずキッチンに手をつき、まな板の上に置いてあった包丁が音を立てて足元に落ちた。
「痛っ!!」
素足だった足に掠り、薄っすら線となって血が滲み出てきた。慌ててしゃがみ込み傷を手で押さえる。
「大丈夫っ!?」
すぐさま駆け寄ってきたのは、慶太郎さんではなく彼女だった。
なに人の良さそうな声出してるの? この人が何を考えているのか分からない。
「大丈夫です。少し掠っただけだから……」
痛みと悲しさから俯いていると、キッチンの入口を塞ぐように立っていた彼女を押しのけて慶太郎さんが入ってきた。
「百花っ!!」
そう名前を呼ぶと、しゃがみ込みんでいた私をサッと抱きかかえる。反射的に慶太郎さんの首にしがみついた。
慶太郎さんの行動に呆気にとられているのか、驚きの表情を見せる彼女の脇を黙って通り抜けると、そのまま寝室へと向かう。
慶太郎さんの歩みで揺れている足を見てみれば、思っているより傷が深いのか、血が皮膚を流れ垂れ始めていた。
「慶太郎さん、床が汚れちゃう」
「そんなの構わない」
怒っているのか口調がキツく、いろんなことがごちゃ混ぜになった私の頭は、すぐに目から涙を流させた。
黙ったままの慶太郎さんが寝室に入ると扉を閉め、私をゆっくりとベッドの脇へ座らせる。
「ここで待ってろ。救急箱取ってくる」
泣いている私に気づいてるはずなのに、そのことには何も触れず、私が頷くのを見ると黙って寝室を出ていった。