抱き締めて言って?
***

トントンッ

「はーい。どうぞ」

室内からゆったりした声で返事が聞こえた。何も言わないでドアを開けるてすぐに閉めた。あまりに勢いがよかったのに驚いたらしく、部屋の主は後ろ向きに座っていたのを振り返ってこちらを見る。

「いらっしゃい」

驚いた表情はほんの一瞬で、あとはニッコリ余裕の態度。
デスクから離れて来客用のソファーに移動した。

「ばか。」

「こら。先生に向かって何ていってるんです」

「うるさい。なによ、今日の授業」

「何って、フランス語文法の授業ですが?」

悪びれず。弁解せず。素知らぬ顔。

ただの何でもない授業じゃなかったじゃない。あんな、恥ずかしいこと。

「……あの時、私のこと見てた……」

『――愛してる』って。その瞬間だけ、私のことを見つめてくれていた。

睨むことしかできなくて、ドアの前から動けないでいると。彼はソファーから手招きした。優しい顔で誘われると勝手に身体が歩み寄ってしまう。
近くまで行くと彼は手を伸ばして私を捕まえた。

「気づいてたんだ?」

座っている彼は私より頭が下で、子供みたいな無邪気な顔で見上げる。
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