二度目の恋
一呼吸して男は店のドアを開けた。チャランそんな音だった。ドアに鈴がぶら下がっている。男が店にはいると、三段の階段がついていた。その階段を降りると、そこが床となっていた。少し低い場所に店はあった。少し明かりを暗くした演出で、カウンター席にテーブル席が三つしかない小さな店だ。辺りを見渡しても、客は一人しかいなかった。その一人が立ち上がった。「橘、遅刻だ」店内に入ってきた男、それは橘愁だった。背はそれほど高くはなく、やせ細っている。顔は目が二重に眉は凛々しく生えていた。三十となる男としてはその年に見えない童顔だ。また、似合わない無精髭も生えていた。
 橘愁はその客の一人に近づいた。「すいません、遅れまして。寝坊しました」その客は頷いた。その客、その男の名は高山春彦(はるひこ)だ。年は四十の編集者で橘愁の担当だった。高山は背が高く、鋭い目をしていた。「まあ座れ」高山は言った。「え?ええ。ああ、これ」愁は少し戸惑い、座りながら手に持っている茶封筒を、テーブルの上に置いた。テーブルの上には高山にきているおしぼりと水、そしてコーヒーがあった。
「おう、そうだ。おまえ何飲む?ここは人気ねえ店だが、コーヒーが旨いんだ」
「あ、じゃあ、コーヒーで」
「マスター!」
 高山は呼んだ。だが、誰も来なかった。
「マスター。チッ、また寝てやがる」
 そう言うと高山は立ち上がり、カウンターに向かって歩いた。そして前屈みに寄りかかり、マスターを呼んだ。
「マスター!マスター!」
 すると奥から髭を生やした初老の男が出てきた。
「ああ、マスター。えっとね、コーヒーひとつ、粗挽きね。あと水とおしぼり」
 マスターは水とおしぼりをカウンターに置くと、また奥の部屋に入った。高山は水とおしぼりを持って席に戻り、愁の前に置いた。
「すみません」
 愁は言った。
「おまえ、粗挽きでいいな」
「ええ、何でも」
「この店は手で豆を挽くんだ。ひとつひとつな。だから自分の好みの味が出来る。俺は粗挽きだ。コーヒーは粗挽きが一番美味しいんだ」
 高山は目の前に置かれた茶封筒に目がいった。
「おう、ごめん。出来たか」
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