金色の陽と透き通った青空
第15話 2人で軽井沢デート
「よーし!! 行くぞ!!」

 レンタサイクル店に行って、2人乗り自転車を借りてこれから軽井沢サイクリングに出かける所だ。

「なんか恐いわ……」

 今時珍しいかもしれないが、杏樹は自転車に乗れない。今まで乗ろうとも思わなかったし、その必要もなくて乗れない人になってしまった。自転車に乗る感覚と言うのが全く見当もつかないし……ちょっと恐怖。

「大丈夫!! 俺を信じて!! なんて……まだ俺の事、信じきれないかな?」

 ちょっと苦笑しながら、杏樹をチラッと見た。

「う……ううん。信じるから安全運転でね!!」

 決心したような真剣顔で、智弘を真っ直ぐ見る杏樹。ちょっとすがるような目にも見える。
 信じると言ってくれたその言葉に凄く感動して、明るい笑顔で杏樹に笑いかける智弘。

「飛ばしたりしないし、大丈夫だよ!! 俺が漕ぐから、杏樹はペダルに足を乗せてるだけでもいいからね。漕げそうだったら漕いでくれ。俺がブレーキをかけて停車したら、足を地面につけて、自転車が走り出したらペダルに足を乗せるんだよ」
「停車中は足を地面に着く、走り出したら足はペダルね……分かったわ!!」

 教習所の講習を受けてるように真剣に、杏樹は言われた事を頭の中で繰り返すように頷きながら繰り返した。
 2人で自転車にまたがっていよいよスタートだ。最初の目的地はから松林の森を抜けて、アンティークな造りの古めかしい純西洋式ホテル。

「じゃあ行くよ」
「は……はい!!」

 自転車が動き出した時、杏樹の心臓は口から飛び出しそうな緊張感だった……。智弘が漕ぎ始めて、自分の足がフワリと浮き上がったら、慌ててペダルに足を乗せた。これが自転車に乗ってる感覚なんだわ。

「なんか不思議な感じ……風を感じると言うか……ふわふわ道路を滑ってるような……楽しい」

 杏樹は目を輝かせて、喜んだ。

「ふふふ……。そうかい?面白いだろ?」
「うん!! 楽しいわ!!」

 屋敷にいる時には智弘は、背広姿とか、普段着でも高級ブランドのシャツやポロシャツにブランド物のパンツ姿が多かった。まあ、殆ど屋敷にいなかったし、会う機会も少なかった事もあるし、彼に対してそれ程関心も高くなかった事もあるのかもしれない……。
 だからなのか、あまり彼の体のシルエットとか気にした事がなかったし、今まで分からなかったし、気がつかなかった。
 今日のようにラフなTシャツにジーンズだと、体のシルエットが気になる。広い背中に大きな肩幅。それに筋肉質で……。ちょっと逞しさと男らしさを感じてる。そして心が時めいてる……。

 首筋に浮かぶ汗の粒が……。汗で濡れたうなじの髪の毛が……。ちょっと男性のフェロモンを感じると言うか……心がちょっとゆらめく感じ……。
 そんな気持ちを悟られないように、杏樹は、一生懸命ペダルを漕ぎ始めた。

「杏樹が漕いでくれると、ペダルが軽くなるよ。助かる」
「本当? 私って結構力持ちなのよ」

 心地良い風が頬をくすぐり、髪の毛がサラサラと梳かれる感じ。自転車のスピードの合わせて、鮮やかな緑の景色が流れる。杏樹は智弘の背中に向って話しかけた。

「うんうん……。凄い凄い。だけど頑張りすぎると後で足が筋肉痛になって、悲惨な状況になるから程々にな」
「あなたこそ大丈夫? 私って結構重いわよ」
「軽い軽い!! 平気平気!! 俺さー。こう見えても自転車少年だったんだ。唯一の癒しって言うかね。あんな堅物じいさんの、冗談のかけらもないような堅苦しい厳しい躾けを受けて育ってきただろ? 時々発狂しそうに心が悲鳴を上げそうになってさ……。そんな時には自転車に乗って、遠出してた。後でじいさんにキツク叱られて、時には殴られもしたけど、全然構わなかった。どんな目にあっても自転車に乗りたくて、乗りたくてたまらなくてね。自転車に乗ってると、自由を手に入れた気がしてた。自転車であちこと冒険に出かけてさ……ある時は家出して、一晩公園で野宿したり……。留学してじいさんの目が行き届かなくなったら、学校の野郎仲間と一緒に泊まりで自転車の旅に出かけたりさ。楽しかったな……」

 冷ややかな感情を持たない冷酷な人の様に見えた智弘も、おじい様の目の行き届かない所では、そんな人らしい楽しみを見つけて過ごしていたのだなと、安堵の気持ちのような、ホッとする気持ちがした。
 自分は実の父が健在の頃は、本当に温かな幸せな日々を送っていた。彼に比べたら私はなんて恵まれていたのだろうと思った。
 今だから分かるが、仮面を剥がした彼は、温かな親しみのある人なんだ……。

「あなたが自転車少年だったなんて!! ちょっと意外だったわ」
「でしょう? なんだかひ弱なお坊ちゃまって感じに思ってなかった?」
「うんうん。そう思ってた……」

 杏樹はクスリと笑いながら言った。

「ひっど……っ。俺ってさ、結構自然とかアウトドアとか……こう言う事に憧れて好きでね」
「素敵ね……」

 インドア派だと思っていた彼が、アウトドア派だったなんて……。本当に意外。だけどとても素敵だなと杏樹は思った。

「なあ……」
「ん?」

 智弘は自転車の速度を緩めて、ポツリと言った。

「杏樹が自転車に乗れるようになったら、自転車2台で遠出しないか? キャンピングカーに自転車積んで遠出もいいけどね旅先でサイクリングを楽しむとか……。あっ、これ俺の勝手な妄想だから、嫌だったら拒否っていいからね」
「ううん。それ、とっても楽しそう!!」

 こうやって、二人で見る夢を語りあう事っていいなぁと杏樹は思った。一緒に色々な場所に出かける姿を空想しながら、杏樹は小さな幸福感に心を踊らせた。

「うわっ! 嬉しい返事だな!!」

 智弘も同じ気持ちなのだろう……。
 2人で風を感じながら、キラキラ緑に輝くから松林を自転車で走って、杏樹は至福の一時を感じた。そして思った。自分の負けだって……。

「智弘さんずるいわ……」

 杏樹はポソッと呟くように言った。

「えっ?」

 何か杏樹を怒らせたのかなと思って、智弘はブレーキをかけて自転車を止めて、振り返って心配そうに杏樹の顔を覗き込んだ。

「なんかいけない事したかな?」

 ちょっと悲し気な、とても不安気な表情の智弘。

「ううん……。もう私の負け。あなたの事凄く好きになっちゃったみたい。離れたく無くなっちゃった」

 その言葉を聞いて、智弘は嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。

「じゃあ……」
「だって。全く別人になって私の元に戻って来るのですもの。ずるいわ……。これじゃあ、あなたの事嫌いになんてなれないし、離れる事も出来ないじゃない!!」

 杏樹は少し駄々っ子のように、敗北した自分に少し悔しがるように、不満げに口を尖らせて言った。
 
「またやり直してくれる?」
「うん。私の負けだわ。だけどもう二度と私を悲しませないで!! じゃないと……」

 不安がない訳ではない。だから……。杏樹の心細気なその表情に、智弘は思った。絶対にもう君を悲しませないし、もう離さない!!心の中で固く誓った。

「分かってる。もう絶対に杏樹を裏切らないし、離れないし、すごく愛してる……」

 智弘は、回りをキヨロキョロと見回してから、頬を染めながら、こっそりと囁くように、慌てて言った。

「キスしてもいい?」

 杏樹は含羞みながら、コックリと頷いた。

 誰もいないから松林……。
 自転車と重なる2人のシルエット……。後は心地良い優しい風に揺れる落葉松の木のサワサワと言う音だけだった。

(第16話に続く)





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