瑛先生とわたし


瑛先生のもとに通うようになって一ヶ月。

先生にもお教室のみなさんにも、良くして頂いている。

透の面倒を見ながらできる仕事がないかと探していたら、偶然見た情報誌で

『賞状技法士』 という資格があることを知った。

賞状の名前は必ず手書きで、家に居ながら仕事ができて、

賞状のほかにも手書きの書の依頼もあるみたい。

今の私にぴったりの仕事だと思った。


書道は好き。

小学校に入学する前からはじめて、高校卒業まで習った。

姉はいろんな稽古事をして、そのどれもが上手で上達が早かったけれど、

私はいくつも習うのが苦手で、続いたのは書道だけ。

でも、これだけは姉に負けない自信がある。


大学3年、就活のさなか 「お姉ちゃんを助けてあげて」 と母親からの頼み

で大学の休学を決めた。

単独留学すると言い出した姉が心配で、異国で一人は大変だろう、妹が一緒な

ら安心だから、というのが母の言い分。

母にとって姉は自慢の娘で、妹の私はそうでもなくて……

容姿も能力もすぐれた姉が親から可愛がられるのは、当然といえば当然。

私にできることは、親の期待に背かないこと。

アメリカの大学に編入もできるからと言われ、多少の期待を持って留学に同行

した。

けれど、向こうで勉強なんて無理だった。

言葉に慣れるのが精一杯で、仕事も忙しくて、学校に行く時間なんてな

くて……

でも、姉の夢は叶えてあげたかった。



姉はダンサーで、本名を一文字変えた 『花田 紅』 を名乗っている。

ダンスだけでなく、演技もできるため 『はなだ こう』 の名はそれなりに

知られていたが、自分の力を試したくて、もっと上を目指すためにアメリカに

ダンス留学した。

二年の留学期間を終えて、いよいよ帰国が決まって、私も大学に復学の予定

だったのに、予定外の事態が起こった。

姉が妊娠したのだ。

相手は、同じダンススタジオに在籍する日本人で、でも、結婚できない相手

だった。

それを知った所属事務所は苦い顔をした。

君のシナリオはできている、子供は諦めろと言われたと、泣きながら私にす

がってきた。

泣き崩れる姉に 「産んで、私が面倒を見るから」 私はそう言った。

姉の妊娠に両親はうろたえ、ことに母は、姉のスキャンダルを恐れたが、

子どもは私が生んだことにするからと言って、両親を説得した。

極秘出産後、姉は一足先に帰国し、私は半年遅れて透を連れて帰国した。



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