瑛先生とわたし


蒼に初めて会ったとき、藍といたときのような感覚にとらわれた。

龍之介が書道の稽古の間、私は車の中で待っていたのだが、あるとき子連れの

女が乗ってきた。

『バロン、蒼ちゃんだ』 と紹介されて 『よろしくな』 と目で蒼に挨拶し

たら……



「バロン、はじめまして、蒼です。この子は透、仲良くしてね」


”うん、わかった。私を触ってもかまわないが、優しく頼むよ”


「バロン、わかったわ。優しくするわね」



こういってきたんだから、驚くじゃないか。

あぁ、蒼は犬の気持ちがわかる子なんだと思ったね。

それから私たちは会うたびに話をした。


龍之介が蒼を好きだというのはまるわかりだったが、

蒼のほうはどうだろうと気をつけていたら、彼女から私に話しかけてきた。



「バロン、龍之介さんっていい人ね。私、好きよ」


”そういってもらえて私も嬉しいよ。龍之介も蒼が好きだ、龍之介を頼む”


「ごめんなさい……私には秘密があるの。

龍之介さんとお付き合いはできないわ」


”蒼、私にもわけを話してくれないか”


「うん……あのね……」



そして、蒼の秘密とやらを聞いた。

なるほど、いささか複雑な事情だが、龍之介は秘密を守れる男だ。

だから蒼にこう言ってやった。

”龍之介に何もかも話せ” とね。

それを聞いた蒼は驚いていたが 「バロンが言うことだから信じるわ」 と

言ってくれた。

私の言葉を信じてくれるとは、本当に嬉しいねぇ……

藍といたときに戻ったみたいだ。


ちょうど二週間前だったな。

車に乗った二人は、いつもと様子が違っていた。

どっちも照れた顔で、いつものように会話が進まない。

後部座席にいた蒼が私を見て 「バロン、龍之介さんに話すね」 と目で話し

かけてきた。

”あぁ、そうだ。全部話して楽になれ” と私も目で返事をしたさ。

それから蒼の家に着くまで、蒼の身の上話が始まった。

運転しながら聞いていた龍之介は、ときどきうなずき、涙ぐみ、最後は怒りを

滲ませていた。

話を聞き終えた龍之介が蒼に言った言葉に、私は感動した。

さすが私が見込んだ男だ、たいしたものだと思ったね。



「蒼ちゃん、姉さんに会いに行こう」


「でも……」


「舞台のために子どもを諦めろなんて、いつの話だよ。

昭和じゃあるまいし、そんなの事務所の横暴だ。

姉さんと話し合って、事務所に掛け合おう」


「だけど、姉に子どもがいるとわかったら、これまで積み重ねてきた

実績に傷がつきます」


「そんなことにはならない」


「どうしてそう言えるんですか」


「姉さんの人生は、隠すより見せたほうがいい。

こういってはなんだが、今は苦労もウリにする時代だ。

留学してダンスの勉強をしたんだ。

それだけでもすごいが、好きな人に出会って、

その人の子どもを育てながら苦労して勉強したんだ。

ファンも観客も、姉さんを非難するどころか応援するはずだ」


「そうでしょうか」


「そうだよ、俺なら応援する。

それに、蒼ちゃんは姉さんの人生まで引き受けるべきじゃない」


「えっ」


「蒼ちゃんはお母さんに認められたくて、

透くんの面倒を見ようと思ったんじゃないのか?」


「……そんなこと、ない……」


「本当に? 俺にはそう思えない。

そろそろお母さんから離れて、蒼ちゃんは蒼ちゃんの人生を歩くんだ」


「でも、母は姉のこと、簡単には納得しないと思います」


「俺が一緒に話をするよ。大丈夫、絶対説得してみせる。俺を信じろ」



龍之介のひと言ひと言に惚れ惚れしたね。

それからの行動は早かった。

そのまま蒼と姉さんが住むマンションに行った。


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