『無明の果て』
第十一章  『楽園』
その店の中で響いていた曲がそうだと気付くまで、僕は少しの間
その場に立ちつくしてしまっていた。



薄暗い店内は、カウンター席とテーブルが三つ、そして小さいステージがあるだけの、古くからあるジャズバーだった。



バンドで歌っていた頃には聞く事のなかった、園の静かな低音は、確実にゆっくりと、心に染み込んで来る。



「こちらへ、どうぞ」

カウンターから声をかけられ、僕はたったひとりの観客になった。


聞き覚えがあると思ったのは、今流れている歌が、僕の作った曲をアレンジし、歌詞をのせられ、園の声で生まれ変わっていたからだっだ。



所詮は夢だと、学生時代に作った、自分でさえ忘れかけていた曲が、そっと命を注ぎ込まれ、生まれ変わっていたのだ。



信じて、惜しみ無く与えたものは、いつか自分に返ってくる。



自分らしい一歩を踏み出す、自分らしい選択を、園の姿は形にしていた。



いつだか、愚直だと、誰かに言われた事がある。


失敗をしても、成功をしても、それぞれが意味のあることだと、次に繋げるなだらかな手立てを、僕はまだ知らずにいるのだろうか。


欲望を強さに変える方法は、いつか誰かに教わるものなのだろうか。



挑戦も出発も、目標も、そして夢も。



挫折があって限界を知るなら、ひとり置き去りにされてしまったようなこの身の置き場は、妻の胸なのではないのだろうかと、気弱な心が見え隠れしている。



「初めてですね。」


マスターらしいその人は


「良い声してるでしょう。」


そう言って、コースターにグラスを乗せた。

「そうですね。
しびれます。」


背中越しに感じる、表現のし難い距離感が、園のオーラを感じさせた。



歌い終えた園が


「マスター、あの曲を作った人よ。」


そう言いながら、横に座った。


「そうでしたか。

それは失礼しました。
じゃぁ園ちゃんとバンドやってたメンバーですね。

どうぞごゆっくり。」
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