『桜が咲くにはまだ早い三月』
第六章  『心』  二節



「もしもし」

ずっと待っていたはずの浩太の声なのに、

ひとりになったテーブルの上に残された

サクラの飲み残したコーヒーを見つめたまま、

私は何を言っていいのか分からず黙っていた。


なかなか返事をしない私に

「もしもし、聞こえる?」

と浩太は少し声を大きくして、もう一度私を呼んだ。


「あ、ごめん。

聞こえてる。」



頭の隅でおぼろげに私は思う。

こんな時でも。


今ここで何が起きても、時間は確実に未来へ向かい過去達を作って行く。

予定通りになどならない事ばかりの日々の中で、

どれだけの偶然とどれだけの奇跡で人は巡り会うのだろうと。



「由香ちゃん

電話くれると思ってずっと待ってたよ。」


あれ、何だか普通だな。

あんなメール送って来たくせに、

もっとドラマチックなセリフのひとつも言えないかと思ったけど、

それはきっと私も、浩太からの電話を待ちわびていたからだね。


「サクラがね」


「え?サクラ…?

あぁ、この間の飲み会にいた子。

今、一緒にいるの?」


「サクラは急に帰っちゃった。

ねぇ、この間の飲み会でサクラと何かあった?」


浩太は何も応えず


「どこにいるの?

これから行くよ。」

と弾んだ声で私に言った。



どうして何も応えないの?

私の知らない何かがあるの?


どういう事よ。



私は帰り支度をしながら浩太に言った。


「今日はやめとく。

付き合ってるわけじゃないんだから、私の予定が優先。

ごめんね。」


質問に答えなかった浩太の言葉が私を意固地にし、

また私を面倒くさい女にしてしまった。


浩太は

「明日、史彦の部屋にいるから気が向いたら来てよ。

みんなで飲んでるから。

後で場所知らせる。」


って早口で言ったけど、

私にはあまり気乗りのしない事のように思えた。




あれからサクラはどうしたんだろう。

本気で浩太に恋したのなら、

私にだって止める権利などあるはずもない。


キツい口調になってしまった私を察して浩太は言った。

覚悟を決めたように。



「由香ちゃん、ごめん。

実はサクラはね、大学の時の僕の同級生なんだよ。」




なによ…それ…


サクラ…

隠すことないじゃない。


知らないふりはないんじゃないの…


私より先に恋してたって言えばよかったじゃない。




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