『桜が咲くにはまだ早い三月』
第九章  『力』  一節



新幹線が見えなくなってからもその場所から動けずに、

私はしばらくの間立ちすくんでいた。


何が起きているのか、私がなぜここにひとりでいるのか、

何も理解が出来ないでいた。


浩太の転勤が決まって、引っ越しの見送りに来て、

浩太にいってらっしゃいって、身体に気をつけてって、

休みの日には会いに行くからねって、

約束だよって、そう言うはずだったのに。

それだけだったはずなのに。


私は何をしてるの?


新幹線が出た後すぐにはまばらだった

ホームの待ち人達の列がしだいに混み始め、

歩きにくそうに私の横を通った年配の女性が

「邪魔ねぇ。」

と、私を睨みつけた。


すみませんと後ろに下がった途端、

私の背中に誰かの旅行鞄が当たって、私は前へ押し出された。


痛い…

ハッと我に返った。

いったい私は何をしてるんだ…



あっ、サクラ…

そう云えば、さっき携帯が鳴ってた…

浩太からじゃなくサクラからの電話が鳴ってたんだ。


慌てて着信を見るとサクラからの電話は、もう三度もかかっている。


えっ?

1時50分?


私はただこうして、ここに30分もいたと言うの?


私はホームの端に向かって歩きながら、

サクラがこのタイミングでかけて来た電話が

私の感じていた胸騒ぎの答えだと分かった。


誰もいないホームの隅で震える手に力を入れた。


怖いよ…

浩太…



久しぶりのサクラへの電話が、こんな時だなんて。


元気?

なんて、そんな言葉は言えそうにない。



サクラの名前の着信履歴を押すと、

一度呼んだだけでサクラはすぐに出た。

遅すぎるとでも言っているように。


「もしもし」


サクラは低い声で静かに言った。


「由香、今どこ?」


「サクラごめんね。

何度も電話…」


そう言った私の声をさえぎるように、サクラの声は低くうなった。



「由香、ちゃんと答えて。

今どこ?」


「新幹線のホーム」


大きなため息の後にサクラは言った。


「北口からタクシーに乗って、救急医療センターまですぐに来て。」



予想もしない言葉に、私はその場にしゃがみ込んだ。

爪の先、髪の先端、私の細胞の何もかも、

全身から全ての力がすっーと抜けて行った。



「そこに浩太が…いるの?」



「・・・うん」



そんな砕けそうなサクラの声を聞いたのは、初めてだった。




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