月のあかり
彼女は、シフトレバーを握るぼくの左腕のスーツのシワを摘むように引っ張った。
「どこの海が見たいの?」
「うーん‥‥ 砂浜が見えるところがいい」
「ここからだと、ちょっと時間が掛かるけど大丈夫?」
帰宅の時間を心配して聞いたけど、彼女はまったく問題無いといった感じで大きくコクリと頷いた。
ぼくは街道を走らせていた車のハンドルを切り、首都高速の入り口へと進行方向を向けた。
あかりから「海が見たい」とリクエストしてくれた。
ぼくが自分で買って出たとはいえ、この成り行き的な彼女の帰宅の送り役が、彼女の提案でドライブデートと呼べるべき展開に発展したことに、胸が高鳴らずにはいられなかった。
6
もう何十年振りだろうか?
いや、まだそんなセリフを吐くほど年寄りじゃない。
でもそう思いたくなるくらい懐かしく感じる風景が目の前に広がっている。
度々通う営業先からの帰途で見慣れているはずの景色なのに、助手席に座っている人が『あかり』であるだけで、ぼくの中で化石のように風化していた感覚が、魂を吹き込まれたように蘇生していた。