主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
主さまは地道に地主神へのお参りを続けていた。

だが息吹のつわりは時につらく重たいものになり、そうなると一歩も客間から出ることができず、それを傍で見守る主さまたちすらをも苦しめる。

だが1番苦しんでいるのは息吹で、まん丸になってうずくまっている息吹の背中を撫でてやること位しかできなくなっていた。


晴明が煎じる薬は一時的に効果を発揮するが、すぐにまたつわりに襲われて吐いてしまうのであまり効果がない。


「ごほっ、ごほっ!う…っ」


「息吹…頑張れ。ほら、これを舐めろ」


飴玉を口に入れてやると、吐き気が治まって力なくごろんと横になった息吹は話す気力もなく、主さまは息吹の額に浮かんでいる汗を手拭いで拭ってやると、息吹が苦笑して自らの眉間を指で指した。


「…俺はそんなに険しい顔をしているか?」


こくんと頷いた息吹がまた咳き込み、主さまは大声で晴明を呼ぶと、腰を浮かして晴明ににじり寄る。


「つわりはいつ収まる?」


「もう1ケ月は続くだろうが…こればかりは母となる者だけが味わう苦しみと喜び故…」


「…もういい。お前はここに居ろ。少し出かけてくる」


「主、さま……」


「すぐに戻って来る。…手拭いを借りるぞ」


息吹に優しい笑みを向けた後、颯爽とした足取りで夫婦共同の部屋へ入った主さまは息吹の箪笥を開けて橙色の手拭いを失敬して懐に入れた。

…本来願掛けなどしたくはないのだが、息吹が苦しむ様を傍で見ているだけなのは耐えられない。


晴明は母となる苦しみだと言っていたが――


「…あんなに苦しませてしまうのなら…子などひとりだけでいい」


本当は何人もの子に溢れた楽しい暮らしを密かに夢見ていたが――それは諦めてもいい。

今は一刻も早く楽になってほしいと一心に願うのみ。


「地主神…お前が子を授けてくれたのならば、せめて息吹の苦しみを軽減させてやってくれ。俺は……耐えられない。頼む…息吹を楽に…」


いつもは少ししか頭を下げない主さまが、深々と頭を下げた。

それは数分にも及び、顔を上げた主さまの目尻には――うっすらと涙が溜まっていた。


そして無言で大きな石に橙色の手拭いを巻き付けると、その場を後にする。


「……あの童も変わったもんだのぅ…」


主さまの姿が完全に見えなくなった時――大きな石からそんな呟きが聞こえたことは、もちろん主さまは知らない。
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