主さまの気まぐれ-百鬼夜行の王-②
主さまと共に蔵に閉じ込められていた椿姫は、誰かに名を呼ばれた気がして顔を上げた。

手の届かない位置にある格子から漏れる陽の光に椿姫が目を細めていると、ようやく出血が収まって起き上がれるようになった主さまがゆっくり身体を起こす。


晴明から託された札のおかげで椿姫から香っていた血の匂いもなくなったが――主さまは椿姫を警戒して反対側の壁にもたれ掛るとつらそうに息を吐いた。


「申し訳ありません……。私のせいで…あなたの大切な方が…」


「…その件は俺が自分でどうにかする。…俺の理性と意志が弱かったせいだ」


長い間一緒に居たが、椿姫を食うことはあっても女として抱くことはなかった主さま。

酒呑童子は毎日のように求めてきたのに、そこだけは頑として強靭な理性が働いた主さまの芯の強さに椿姫は憧憬の念を感じていた。

…自分の身体が血の匂いを発していることには今まで気付いていなかった。


あの神社に居れば、妖に襲われることはなかった。

だとすれば…

酒呑童子は何のためにあの神社に自分を監禁したのだろうか。


…独り占めして食うために?


それしか理由が考えられない。


「彼方……いえ…酒呑童子は…私を追ってくるでしょうか」


「……晴明が張った結界が働いている限り、それはない。それよりも椿姫…お前の深意を問いたい」


「私の……深意…?」


酒呑童子以上に整った美貌の主さまにじっと見つめられると目が合わせられなくなって俯いた椿姫は、再び顔を上げることになる。



「お前は酒呑童子に惚れている。そうだな?」


「……私が…酒呑童子を…?……そんなこと…あるわけがありません…」


「いや、お前と酒呑童子は身を隠しつつも幸せに暮らした時期がある。あの鬼は人を食い物としてしか見れない。食うつもりだったなら捕らえた瞬間そうしたはずだ」


「あの方が鬼だとわかった時から好いてなどおりません!」



髪を振り乱して首を振って否定する椿姫に同情するつもりもない主さまは、息吹との引き裂かれた赤い糸を手繰り寄せるように着物の胸元をぎゅっと握って淡々と告げた。


「ならば俺が酒呑童子を殺す。お前の目の前で。八つ裂きにして、細切れにしてやる」


「そんな……そんな……酷い…!」


好いていないと言ったそばから酒呑童子を庇い立てしようとする言葉が競り上がってくる。

椿姫は両手で顔を覆って突っ伏すと、動かなくなった。
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