ラララ吉祥寺
惰性で過ごしていた毎日が、いつの間にかワクワク待ち遠しいものになっていった。
朝目覚めて、おはようを交わせる仲間がいるのが嬉しかったし、食事の支度にも張り合いができた。
でもそれだけじゃない。
多分わたしは、人との関わりに飢えていたんだ。
これまでの生活が取り立てて不幸だった訳じゃないけれど。
母はうだつの上がらぬこんな娘にも寛容だったし。
定職につけとせっつかれたこともなければ、結婚しろとも言われなかった。
彼女は娘の性質をしっかりと見極めた上で、あるがままを受け入れようとしてくれていたのだ。
それでも、やっぱり、わたしが世間一般と比較して、身の置き所の無さを感じていたのは確かで。
食卓でも、話す話題に事欠いた。
当たり障りのない天気の話や、ご近所話が関の山。
流行のドラマや映画を話題にしたくても、世情を映した物語りには、何処かにわたしのコンプレックスを刺激する何かがあったから。
小さな綻びから、わたし自信が壊れていくようで怖かった。
だからわたしはそこに触れられることを極端に恐れた。
静かにここで生息するため。
仕方なく。
だから、母とわたしを隔てた見えない溝は、深くなることはあっても埋まることはなかった。
どうしたら、その溝は埋まったのだろう?
そもそも、埋めることは可能だったのだろうか?
それは結局、彼女が死んだ今、分からず仕舞いだ。
母の死はわたしに孤独をもたらしたが、憂鬱な気分を払拭したのも確かなのだ。
自らの死をもって、わたしを最後の賭けへと踏み出させたその気合には恐れ入る。
他人と暮らす非日常は、この三十数年のただ繰り返されるだけの生活を打ち破るに足る新風を巻き起こしたのだから。