黒猫のアリア
見慣れた家の屋根から、屋根裏部屋に潜り込む。仕事が終わったあとで一番神経を使う場面だ。この瞬間を見られたらもう言い逃れはできない。
音を立てないように慎重に部屋に入ったあと、誰にも見られていないことを確認して静かに息を吐いた。
束ねていた長いブラウンの髪を解き、目元に付けていた仮面を取る。部屋の隅の鏡にちらりと目線をやると、色素の薄い瞳と目が合った。拳で鏡を割りたくなる衝動に襲われるが、下唇を噛んでそれに耐える。こんな夜中に大きな音を出せば、この家の主人が起きてしまう。この家に仕えている者として、そんな失態を犯すわけにはいかない。
"裏"仕事用の服と今夜の盗品をベッドの裏に取り付けた布の袋に隠し、私は早々にベッドに潜り込んで眠りに就いた。明日の朝も早い。メイドの仕事は山ほどあるのだ。
私は幼いころ父親に捨てられた。
病気のせいで私を産むと同時に亡くなった母の代わりに、父は責任を持って私を育てようとした。
だが、できなかった。私の瞳が、淡いブラウンだったからだ。母と父の瞳の色を考えればありえない色。母は、父のほかに関係を持っていた男性がいたのだ。母に裏切られたショック、生まれてしまった私。父は苦しんだ挙句に私を孤児院へ預けた。どうしてもこの子を愛することができないと、父は泣きながらシスターに言ったそうだ。
優しいひと、大人になってからその話を聞いた私はそう思った。他人の子供のために泣けるのね。そう呟いた私を、シスターは複雑そうな顔で見つめていたっけ。
孤児院を出た私は職を転々とし、やがてこの家に雇われた。様々な仕事をしてきたその経験を活かしてもらいたいと、恰幅の良い主人は威厳たっぷりに言った。この家の人々のことは嫌いではなかったが、好きというわけでもなかった。私にとっては仕事上の付き合いであって、深入りするつもりはまるでない。