柔き肌に睦言を
5
年が明けて二月、放課後の美術室に行くと、後輩部員に物陰に呼ばれた。後輩部員、長良井果歩はホワイトボードの裏で私に可愛らしく包装された小さな箱を手渡したのだ。
「これは」
「東雲先輩、受け取ってください」
「あ、ありがとう。えっと」
「わたし、ながらいかほです。名前、覚えてくれてなかったんですか」
私は決まりが悪くなって目を伏せた。
長良井果歩はまん丸い目を真っすぐに向けてくる。
「それ、何かわかりますか」
それとは私の手の中にあるこの包みのことだ。私が何か言おうと口を開きかけた瞬間、もう彼女は答えをしゃべり出す。
「チョコレートです。あさってバレンタインデーだから。でも日曜だし。なので今日渡しました」
バレンタインデーなんて、忘れていた。意中の男性などいない自分には関係ないイベントだと思っていたから、例年通り、きれいさっぱり、忘れていた。
「そうか、ありがとう。でもちょっとびっくり。私がもらうとは」
「わたしの名前も知らなかったしバレンタインデーのことも忘れてたみたい。みんながしゃべってるときも入ってこないでひとりで絵に集中してるし」
チョコレートは好意のしるしではないのか。私はなぜだか責められているのか。
「でもわたし、そんな先輩だから好きなんです。これからもそういう姿勢、貫いてください」
そう早口で言うと、長良井果歩はきびすを返した。そのままカバンを手にし、出て行ってしまった。カバンにはアニメのキャラクターっぽいぬいぐるみがいくつもぶら下がっていて、それがジャラジャラとやけに賑やかだった。
せっかく美術室に来たのに絵は描いていかないのだろうか。私は手にした包みを暫し眺めた。
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