柔き肌に睦言を
7
そうだ、いそがなくてはいけないのだ。いそがなくてはいけないのに。
熱い体で抱き合って二人、どうにもならずにそのまま時が過ぎていく。
「指とか舌で、するのかな」
睦美がぽつりとつぶやいた。
「してもいい?」
「だめ、恥ずかしい。ねえ、そんなことしないでもあたしこうしてるの、気持ちいいよ」
「うん、私も」
睦美の温かさが伝わってきて、いつしか興奮は穏やかな幸福感に変わっていたのだ。
「雨、降ってきた」
「うん」
「いま、何時かな」
「もう帰りたい?」
「じゃなくて、おなかすいたなって」
「そうか。ごめん、何か出前でも取る」
だが、睦美から離れがたい。いま離れたらもう二度とこうすることはできない気がする。
「しのちゃん、お願いがあるの」
睦美がどこか遠くの方を見るように言う。
「ねえ、とってね」
「出前」
「あたしの絵で、賞、とってね」
いつの間にか両手とも私の背中に回して、微かに力を込める。
「とれるかな」
「あたしにここまでさせたのよ。ダンナに知られたら浮気って言われるよ。とってもらわなきゃ」
浮気か。睦美にとっては女は恋愛対象外のはずだから、こうなることは予想していなかっただろう。予期せぬ相手に迫られて、まあ一線は越えようにも越えられないけれども、肌を重ねてしまい、ダンナさんに対する罪悪感を抱かせてしまったに違いない。
「ごめん、こんなことして。でもうれしいよ。すごく、うれしい。こんなことは夢のまた夢だと思っていたから」
私はそう言うと、優しく優しく力を込めて睦美を抱く。これが、たぶんもう最後だから。そして三十年の人生の中で初めて誓いをたてた。
「六月にコンペがある。睦美ちゃんの絵、出品するよ。それで、入選してみせる、絶対」
「約束してくれる?」
「約束する」
「もし入選できなかったら」
「できなかったら…?」
「もうあたしに連絡しないでね」
鼻の奥がツンとして、目のふちが熱くなっていく。やがてこみ上げるもので視界が歪んだ。
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