月陰伝(一)
飛び降りた体はゆっくりと降下していく。
上昇していく風鸞を見上げて確認し、三階の窓の横に着くと、ピタリと空中で制止した。
壁に手を当て、精神を集中させる。

「〔ティブス・ダルス〕」

その言葉で、ついた手を中心に魔方陣が展開される。
ゆっくりと魔方陣に手が吸い込まれ、そのまま、体が壁をすり抜けた。
暗く、冷たい空気の満たす廊下に静かに下り立つと、慎重に気配を探る。

「…上…?」

四階に何者かの気配を感じ、見つけた階段を駆け上る。
上りきった所で、あえて気配を消さずに目的の部屋へと入った。

この気配は、良く知っている。
近付くにつれ、確信に変わる。

「やぁ、こんばんは。
君が指揮を取っていたんだね。
どおりで隙がないはずだ」

男の声が響いた。
予想していた通りの声に、気を引き締める。

「そう言うわりには、すんなりとこんな所まで入り込んでるじゃない。
路地にいたもう一人は囮?」
「そうだよ。
けど、君が相手では意味がなかったね」

路地に潜んでいた者の気配は、訓練を積んだ者ならば、辛うじて捉えることができる。
だが、こいつは、探知に特化した者であっても、よぼど注意しなければ、感知する事ができない。
全ての気に精通する精霊だからこそ、見付ける事ができたのだ。

「君の力は、本当に素晴らしいね。
聞いたよ、母君に勘当されたんだって?
君の価値をわからない愚かな人だね。
縁を切って正解だよ。
君はただの人の中で生きるべきじゃない。
そんなちっぽけな枠に囚われて良い者じゃない」
「それはどうも。
随分と過大評価してくれてるみたいね」
「もちろんだよ。
君の価値は、僕にしか分からない。
良い機会だ、僕の所においで。
僕なら、退屈も、寂しさも、人である事の虚しさも感じさせないよ。
僕の隣で笑っていればいい」

ゆっくりと近付いてくるその男は、やがて月明かりの元に顔を浮かび上がらせた。
その顔は、今やテレビや雑誌で見ない日はない程有名な人気俳優。
”新堂奏司”だった。

「その辺のファンの女の子達と一緒にしないでくれる?
あんたは、一人でお人形遊びでもしていれば良い」

本当に、この歪みまくった本性を、世間にさらしてやれたら、胸がスッとするだろうに。

「君が欲しいんだよ」

いつの間に間合いを詰めたのだろう。
恐い男だ。
後三歩で手が届く。

「仕事の話をしましょう。
今回のターゲットは、この三人ね?」

怯んだりしてはいけない。
事、この男の前では。
だから、努めて冷静に三枚の写真をカードのように投げつける。
それを指で挟み取った男は、足を止めた。

「そうだよ」
「なら、引いて頂戴。
叶様には、私から話を通しておく。
それで問題はないはずよ」

あくまでも強気に。
交渉中に隙を見せないように…慎重に。


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