Blue Note ― ブルーノート
時計を見る。
もう6時を回ろうとしていた。アノンはため息をつきながら、壁に背中をもたれる。
と、その時信じられないものが目に飛び込んだ。
飛び下りだ。
MBビルは、国内でも数えて5本の指に入るほどの高層ビルだ。 そのビルの屋上から、人が飛び下りたのだ。
それは他の何物でもない、間違いなく人間だった。
目がくぎづけになる。子供だろうか、速くもなく遅くもないスピードで、それは落ちていく。
地面に体のたたき付けけられる音がここまで聞こえてきた、ような気がした。
アノンは空に向かって息を吐いた。そうでもしないと、この胸の高ぶりを抑えられない気がしたからだ。
自分が慌てたところで、何もなりはしない。 ビルまで5kmはある。
仮に現場の近くにいたとしても、自分は何もできやしない。 さっさと家に帰ろう。
アノンは一つ、深呼吸をすると肩にかけていたエナメル質の鞄を頭にのせ、霧雨のなかへ飛び込んだ。
水が跳ね、じわじわとつま先から浸透する。 雨足は強くなり、地面を踏む度に靴が吸った水を吐き出す。
服は肌にぴったりと吸着し、僅かな風が吹くだけで、堪え難い寒さが体中を駆け巡った。
走りながら無理矢理に呼吸をしたせいか、息をするたび喉が焼けるようにヒリヒリする。
案外、自分が運動音痴なのだという事に気付かされた。
しばらく走り続け、ふと、走りながら先ほどの飛び降りの事を思い出す。
飛び降りをした人は無事だろうか、いや無事なわけない、あんな高さから落ちたら普通は死ぬに決まってる。
だが、そんな思考も、治安管理局の護送車のやかましいサイレン音に掻き消された。
車はそのままアノンを抜いていく。
前方を見ると幾台もの車が列をなし、渋滞を起こしていた。
渋滞の原因はどうやら、数百メートル先で行われている検問にあるようだ。
慌てて路地裏へ回る。
少し遠回りにはなるが、治安局の奴らに色々と面倒をかけられるよりは幾分マシだ。