猫 の 帰 る 城




 *


真優の姿を前にすると、途端に梅雨の苦い記憶がよみがえった。


小夜子のアパートの前で待ち伏せていた彼女に、僕は残酷な仕打ちをする。
去っていく真優を追いかけることもなく、僕は小夜子のもとへ走りだす。

愛のない言葉は、何よりも冷たい。


思い出すと、ひどく胸が締め付けられた。

僕の頬を打つ彼女の顔は、あの時からずっと心の奥にしまったままだった。



それでも真優のことを考えなかった、と言えば嘘になる。


小夜子と駆け抜けたあの夏も、秋も、いまも。

むしろ、自分が小夜子とこんな形になってしまったのは、あの日、僕が真優を傷つけた代償なのかもしれないと思うほどだった。


真優との最後の記憶は、小夜子を失ってからよく現れた。

その度、それは小さな棘のようにこころに刺さって、少しだけ僕を傷つけるのだ。



真優はどこか含みのある笑顔でこちらを見ていた。
そんな彼女を前に、当前の疑問が浮かぶ。


どうして真優がここに


彼女は確実に、僕がここにいることをわかった上で訪れている様子だった。

ここで働いていることは、誰にも言っていない。


不審に思う僕の脳裏に、再びあの梅雨の記憶が甦る。

小夜子のアパートを突き止めたように、僕の跡もつけていたのだろうか。



グラスを磨く手を止めた。

カウンターより一段低くなった調理場から、真優を見据え、尋ねる。


「おかけください。何になさいます」


罪悪感よりも、先に警戒心が働いた。
僕の声は驚くほど冷やかなものになる。


真優は少しだけ呆れたように笑って見せた。


「第一声がそれなんだ」


彼女はワイルドターキーのソーダ割りを注文すると、ゆっくりとスツールに腰を下ろした。

襟元にファーのついたコートを脱ぐと、袖のない、黒のニットワンピースが現れる。


すこし身体が引き締まった気がする。

とても柔らかだった肌はそこになく、張りつめ、骨の浮いた首元が覗いた。
目尻を走るアイラインは鋭い。


たったふた季節、彼女と離れていた期間はそれだけなのに、随分変貌したように思われる。

ただ、僕が似合うと言ったショートヘアだけが、変わらずにそこで揺れていた。


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