猫 の 帰 る 城
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真優の姿を前にすると、途端に梅雨の苦い記憶がよみがえった。
小夜子のアパートの前で待ち伏せていた彼女に、僕は残酷な仕打ちをする。
去っていく真優を追いかけることもなく、僕は小夜子のもとへ走りだす。
愛のない言葉は、何よりも冷たい。
思い出すと、ひどく胸が締め付けられた。
僕の頬を打つ彼女の顔は、あの時からずっと心の奥にしまったままだった。
それでも真優のことを考えなかった、と言えば嘘になる。
小夜子と駆け抜けたあの夏も、秋も、いまも。
むしろ、自分が小夜子とこんな形になってしまったのは、あの日、僕が真優を傷つけた代償なのかもしれないと思うほどだった。
真優との最後の記憶は、小夜子を失ってからよく現れた。
その度、それは小さな棘のようにこころに刺さって、少しだけ僕を傷つけるのだ。
真優はどこか含みのある笑顔でこちらを見ていた。
そんな彼女を前に、当前の疑問が浮かぶ。
どうして真優がここに
彼女は確実に、僕がここにいることをわかった上で訪れている様子だった。
ここで働いていることは、誰にも言っていない。
不審に思う僕の脳裏に、再びあの梅雨の記憶が甦る。
小夜子のアパートを突き止めたように、僕の跡もつけていたのだろうか。
グラスを磨く手を止めた。
カウンターより一段低くなった調理場から、真優を見据え、尋ねる。
「おかけください。何になさいます」
罪悪感よりも、先に警戒心が働いた。
僕の声は驚くほど冷やかなものになる。
真優は少しだけ呆れたように笑って見せた。
「第一声がそれなんだ」
彼女はワイルドターキーのソーダ割りを注文すると、ゆっくりとスツールに腰を下ろした。
襟元にファーのついたコートを脱ぐと、袖のない、黒のニットワンピースが現れる。
すこし身体が引き締まった気がする。
とても柔らかだった肌はそこになく、張りつめ、骨の浮いた首元が覗いた。
目尻を走るアイラインは鋭い。
たったふた季節、彼女と離れていた期間はそれだけなのに、随分変貌したように思われる。
ただ、僕が似合うと言ったショートヘアだけが、変わらずにそこで揺れていた。