みだりな逢瀬-それぞれの刹那-
「ああ、また電話する」
彼のその言葉を聞くなり、今日は珍しく私の方が先に電話を切ってしまう。
役目を終えた電話の子機は、そのまま深紅のカーペットに小さな音を立てて落ちていた。
いつもは名残惜しさから通話終了音さえも干渉的に聞いていたクセに、つくづく勝手な女だ。
でも、そうでなければ口に出してしまいそうだった。――私の命に制限時間が出来た、と。
今ごろポロポロと瞳から零れていく無数の涙に、よく我慢したと少しは褒めてあげたい。
「ひっ、く…、わぁああああ!」
自室のソファに身を預けると、そのまま声を上げて思いきり泣いた。
予め鍵は掛けてあるし、趣味のヴァイオリンを弾くため防音になっているこの部屋の構造に今日ほど感謝したことはない。
こうしている間にも、“悪性グリオーマ”は私の体を蝕んでいるだろう。
そんな病名を聞いたこともなかったし、きっと普通に暮らしていたら知らないままだったはず。
自分の命があと少しと医師に宣告を受けた日。それはほんの一ケ月前のことだった。
当の私といえば話を真剣に聞きつつも、ドラマみたいだなとどこか他人事のように感じていた。
その空間で医師に問われて思い返すと、よく頭痛に悩まされていたり、体調がおかしいなと感じていたことに気づく。
しかし、会社員がそんな理由でそうそう欠勤も出来ず、市販薬を常用してやり過ごしてきた。
それを後悔しても今さら遅い。人生は何度でもやり直しがきくっていうけれど、身体にやり直しはきかないのだから。