みだりな逢瀬-それぞれの刹那-
会計士を目指す私と義務教育中の妹が後を継ぐ気はなかった。でも、病気の進行は待ってなどくれない。
だからこそ、父はどこかへ経営権を譲渡しようとしているとも話してくれた。
「私がやる。跡を継がせて下さい」と、そんな重苦しさ漂う席で声を上げた。
洋服を愛する父の無念さを思うと悔しくて堪らず、話を聞いたその場で口にしたのだ。
「まりかちゃん、そんな簡単なものじゃないよ」
そんな私に「ありがとう」と前置きをしつつも、父は苦笑混じりに笑っていた。
「そうよ。創業者一族として今後も優雅に暮らせるのに」
おっとりして優しい母。ただこのとき私は、彼女の発言が聞き捨てならなかった。
「お母さん、そんな甘いこと言ってていいの?
現在、我が家が保有している株は約40パーセント。筆頭株主であるのは誰の眼にも明らかよ。
たとえば譲渡後、どこかの外資ファンドにでもTOB(株式公開買い付け)でも仕掛けられた時はどうするつもり?
その時に次の経営者が喜んで売却でもしたら?――肝心の会社の行く末はどうなるの?見殺しにするわけ?
筆頭株主に乗っ取られたのち、利幅重視、薄利多売とか路線変更するでしょうね。
そして大事な社員も次々にリストラされる。パパが必死に築いた企業の良さは一瞬で消えてなくなる。
そうなれば甘い蜜を吸うだけ吸って、うまみが消えた瞬間あっさり捨てられる。まさに悲しい末路だけが待ってるわ」
「ま、まりかちゃ」
私の冷静かつ残酷な物言いに、向かいのソファに座る母の顔は強ばっていた。