たなごころ―[Berry's版(改)]
 しばらく、彼女の後姿を眺めていた笑実だったが。中断していた作業を、再開し始める。独特な静寂が支配する図書館に、コトリ、コトリと本を戻すたびに音が響く。
 没頭しかけた作業の合間。ついでのように、笑実は小さくひとつ息を吐いた。重だるく、霧がかかったように。頭の隅に根を張り始めた悩みの種が。先日巻き込まれたといってもいい、あの出来事が。不意に思い出されたからだ。

 笑実が、ぼんやりと想像していたよりもずっと。大手であった箕浪が所属する会社。そして、父親も含む彼の社会的地位。突如現れた、意味ありげな女性の存在。安っぽいドラマなどと安易に表現していい要素ではないだろう。
 眩暈に襲われ、箕浪から離れたあの日。自宅へ辿り着いてから、笑実はひたすら考えていた。どう転んでも、これ以上彼らと付き合うことで、自分にプラスになることはない。いや、断言するのはまだ早計かもしれないが。少なくとも。今後、面倒に巻き込まれるだろうことは、間違いないはずだ。――ならば、手段はひとつしかない。
 浮気を働いた彼氏である狐林学のことは、自分で時間をかけてでも解決すればいい。他人に……探偵なぞに任せようとしたのが、元々の間違いだったのだ。
 笑実が、最後に導き出した答えであった。
 端的に言えば。笑実は箕浪や喜多から逃げ出すことを選んだのだ。

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