あの日まではただの可愛い女《ひと》。

クリスマスを少しだけ。

「桜さん、クリスマスイブはどうするの?」

 11時すぎて会社から帰るときは心配だから電話してっていわれてるので、電話を入れたら葵が、何かのついでで聞いてきた。クリスマスかぁ。なんとなく、もやもやと、そんなイベントを葵と行うのは流石にまずいだろうって思った。だからなるべくこの話題に触れないよう、できればクリスマスシーズンが落ち着くまではなるべく会う回数を減らそうって感じ。

「うーん。特には考えてないけど、毎年、女友達と呑んでるから今年もそうなると思う」
「あ、そうなんだ」

 うん。もちろんそれは嘘じゃないし、今年もアキが特別な男とクリスマス過ごす話は聞いてないから、約束してないけどそうなるはずだ。結構簡単に、葵が引き下がってくれてよかった。

「そういえば、桜さんグリューワインは興味あったりします?」

 グリューワインって、ホットワインのことだよね。フランスだとヴァン・ショーって言うみたいだけど、大抵中身は同じというか、オレンジとかシナモンとかがはいったあったかいワイン。寒いときにぴったりな飲み物。

「あ。いいねー。グリューワイン、寒いし呑みたいよ」
「じゃー呑みに行きませんか?」

 このあと何も考えずに、呑みに行くくらいなら大丈夫かなって思って、いいねと言った自分に少しだけバカって言いたくなった。



「え…っと、ここは?」

 休みの日に待ち合わせして、二人して向かった場所は六本木で開かれているクリスマスマーケットだった…。クリスマスイブは確かに断ったけど、これじゃなんていうか…。
 クリスマスを待ちわびるカップルみたいじゃないのよさ?
 そんなことを憮然と思ってたんだけど、葵は私のそんな逡巡に気がつかないでグリューワインを2杯買ってきた。
 う。オレンジとかシナモンとかの匂いがふわんと赤ワインの芳香に混じって、なんとも幸せな香りがする。フラムクーヘンやラクレットまで買ってきていて、まずは腹ごしらえって感じ。

「うー。おいしいよぅ」

 もう一口飲んだ瞬間に、私はいろいろ悩んでたことが吹っ飛んでしまった。
 我ながら単純なんだけど、おいしいものってそういう魔力みたいなものがあるよね、うん。この幸せな気持ちはきっとそれのせいだと思う。

 きらきらしいイルミネーションに、ラッピングされたみたいなツリー。
 クリスマスにまつわるいろいろなアイテムが、『イベントって楽しいな。大事な人に対してあなたのこと、とても大事だよって言える機会があるっていいことだ』、みたいな気持ちにさせられる。

 子供のときに、クリスマスって本当に楽しみだったな。
 うちのお祝いの仕方は本当にガチャガチャで、クリスマスなのに、夕飯がなぜか手巻き寿司だったりするんだけど、ちゃんと最後はケーキがでてきた。
 葵の家は結構本格的で、12月に入ったらツリーを飾り付けるのは子供たちの仕事で、天辺の星を飾るのは家族でじゃんけんで決めたりしたとか、そういうお互いのクリスマスの思い出をなぜかつらつらと語り合ってしまった。こんなに同じ日本の家庭でも全然文化とか習慣が違うのが面白くて話するだけでわくわくしてしまう。

 葵の家は七面鳥ちゃんと焼くらしくって、葵も母親に仕込まれて実は焼けるってコトに驚いた。意外に小器用なところがあるよねって言ったら、来年桜さんに焼き方伝授するよってサラリと言われてしまった。
 来年か…。
 来年一緒にいることがあるんだろうか、と少し自嘲気味に思ったけど、なんとなく楽しい雰囲気を壊したくなくって、笑って『そうだね。じゃー私はお寿司の作り方教えてあげる』って一応言っておいた。

 グリューワインは複数のお店で売っていて、なんとなく呑み終わったら、また買ってって感じで酒飲みな私達らしく、イロイロ飲み比べした。葵とこのお店のはちょっとオレンジ多めだね、とか、クローブ効いてて大人な感じがするね、とか、話しているとピッチがどうしても早くなってしまった。
 私は、グリューワインを三杯ほど空けた時点で、ふわふわとした心地が気持ちよくて、財布の紐が緩んでしまったんだろう。使う予定とかまったく考えずに、透明なガラス玉の中に、雪にまみれたツリーが入っている大人っぽいクリスマスオーナメントと、渋い色のリースを2つ買ってしまった。クリスマスリースはデザインはほぼ一緒なんだけど、色調がちょっと違うもの。

 少し酔っ払ってしまって、そのまま眠気に襲われて、ぼーっとしてたらいつの間にか葵の家に連れて行かれてた。
 ベッドで転寝させてもらってたらしく、目が覚めたら、窓の外は真っ暗になってた。

「ごめん寝てた…」

 そう言って、リビングに行ったら、葵が本を読んでて、『よく寝てたから今日はもう起きないかと思った』って静かに笑った。

「クリスマスマーケットで買ってきたものばっかりだけど、何か食べる?」

 確かに、軽くクリスマスマーケットでラクレットとか食べただけで、今日はあまり食べてなかったからおなかが減っていたので好意に甘えることにする。
 でも出てくるものは七面鳥の切り身とか、パテとかちょっとクリスマスっぽいものばかり。なぜかバッテラを葵が買ってきていてちょっと笑ったけど。
 私がお寿司の話したから妙に食べたくなったんだって。

「ちょっと早いクリスマスみたいだね」

 そう、葵は軽く笑ったけど、私は少しだけ居心地が悪くなってしまって、もじもじしてしまった。「みたい」って言われると、定義があいまいというか、なんとなく偶然感がある。あーまた、なんとなく葵の作戦に乗せられちゃったかもって思ったけど、葵も明確に言わないんで、お互い少しずつごまかしてその夜を過ごした。

 朝、葵が眠っているのを確認してそっとおきて、リビングのテーブルにマーケットで買ったリースの片割れと、葵に少し早いけどクリスマスプレゼントに買ったカシミヤのマフラーと(きっと彼の長い指に似合うに違いない!って一目ぼれだった)皮の手袋を置いて彼の家を出た。
 実はクリスマスが終わるまでは、この日を境に彼とは会わないつもりで、もともとプレゼントを用意していたから。

 部屋に戻って、扉にリースを飾る。なんとなく、葵も飾ってくれるとうれしいな、私がそれを確認することはないと思うけど。
 そして、ツリーはないけどオーナメントも飾ろうと思って取り出そうとしたら、バッグに見慣れない箱が入っていた。確認したら、触ると溶けてしまいそうなくらい華奢な金色の鎖だけのブレスレットと花かごみたいな可愛いピアスが入っていた。葵からのクリスマスプレゼントなのは簡単なカードが添えてあったのですぐにわかった。

 メッセージは『少しだけクリスマスな気持ちを味わって』だった。

 ああ。私の考えてることなんて、葵にはお見通しなのね。勝手な考えなのに黙って付き合ってくれたことに胸がつまった。自分がクリスマスに触れたくなくて会わないって決めたのに、それなのに少し寂しくなってしまって、鼻の奥がつんとなりながら、ブレスレットを自分の手首に通した。

 でもアンクレットに引き続きブレスレットだから、葵ってワッカモノが好きなのかな?ってちょっと思った。
 それをアキに詳細は伏せて、話したら大爆笑だったんだけど、なんでだろ?
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