社内恋愛のススメ
背後に迫る、人の気配。
ゆっくり近付く、長友くんの影。
長い影が、私の真後ろに立つ。
(長友………くん………。)
声には出さず、心の中だけで呼ぶ。
大好きな人の名を。
もう触れることさえ出来なくなる、愛している人の名を。
好きなのに。
こんなに大好きなのに、振り向けない。
名前を呼べない。
「どうして、ここにいるの?今、仕事中でしょ………。」
振り返らずに、そう言う私。
振り返れないんだ。
振り返るのが、怖いから。
私は臆病者なんだ。
私は卑怯者なんだ。
こんな時でも、悪あがきしてしまう。
長友くんの存在を感じる。
すぐ後ろに、大好きな人の気配を感じている。
低く響く声。
その声が、私に問いかけた。
「お前、どうやって帰るつもり?」
「は?」
「バッグ、デスクに置きっぱなしだし。取りに来る様子もないし。マンションの鍵、どうせバッグの中だろ?」
そうでした。
マンションの鍵、バッグの中に入れてました。
言われてから、気が付いた。
どのみち、バッグを取りに戻らなければ、マンションにも帰れないのだ。
ジュースを買うどころか、自分の家にも入れない。
すっかり忘れていた。
「まだ、会社のどこかにいるんだろうなーと思って。」
「あ、はは………。」
もう笑うしかない。
我ながら、間抜け過ぎる。
本当だよ。
長友くんの言う通りだ。
私、どうやって帰るつもりだったんだろう。
いつもならばすぐに気が付くことに、他人に言われるまで気が付きもしないなんて。
それだけ、動転していたということなのだろうか。
あのファックスに。
人事部の部長から直接言い渡された、転勤命令に。