社内恋愛のススメ



「実和ちゃん………?」


私の様子がおかしいことに、桜井さんは勘付いたのだろう。

桜井さんが私に近寄ろうとして、長友くんの存在にようやく気付く。



「ね、あの人じゃない?ほら、私が教えた、本社から異動で来る人って!」


そそくさと私の所に歩み寄ってきた桜井さんが、小声でそう話しかけてくる。


しかし、声がよく聞こえない。

私の耳に、桜井さんの嬉しそうな声が届かない。




(長友くん………。)


長友くんが来る。

長友くんが、こっちに近付いてくる。


それだけでいっぱいになってしまって、桜井さんの存在さえ忘れてしまいそうになるのだ。



桜井さんのことを、無視したい訳じゃない。

恩人でもある桜井さんのことを、好きで無視してるんじゃない。


ただ、長友くんの存在だけで埋め尽くされていくのだ。

私の中が、長友くんの存在で埋まっていく。



「あ………っ。」


大股の長友くんはあっという間に私の前まで来て、しゃがみ込む。


真剣な眼差しのまま、黙って私が落としてしまったバッグの中身を拾い集めてる。



「何してんの、お前。」


呆れた様に長友くんはそう言って。

長友くんのその声に反応して、私は長友くんからやっと視線を逸らして、俯いた。



「………。」


長友くんが私にかけた言葉は、どう考えても初対面の人間に言う様な言葉ではない。


もっと近い人間。

会ったことのある、親しい人に対して使う言葉だ。


そのことに一瞬で気付いた桜井さんが、慌ててこう聞いてくる。



「あれ?もしかして、実和ちゃん………知り合いなの?」


知り合いどころか、同期なんですけど。

しかも、普通の同期ではなく、恋人だった人なんですが。


そうは言えなくて、私は曖昧に言葉を濁す。



「ええ、まぁ………知り合い、ですね。」

「そっか。実和ちゃんも、去年までは本社勤務だったもんねー!」


1人で納得しちゃったらしい桜井さんが、しきりに頷いている。



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