社内恋愛のススメ



桜井さんは、私に起きたことを知らない。

でも、私が本社から異動でこちらに来たことは知っている。


どんな理由で、こっちに飛ばされてきたかまでは知らなくても。



本社から来た人間が、私の知り合いであることも不思議ではないのだろう。

うんうんと頷いている桜井さんに、長友くんが軽くお辞儀をした。



「初めまして。今日からこちらの支社で勤務することになりました、長友 千尋です。」

「あっ、ご丁寧にどうもありがとう。営業部の桜井です。よろしくね?」


よく知る2人が、目の前で自己紹介をし合っている。


どことなく、おかしな光景。

あの長友くんと桜井さんが顔を合わせて挨拶をする日が来るなんて、ほんの数分前の私は思いもしなかった。


挨拶を交わした長友くんが提案したのは、突拍子もないこと。



「桜井さん。」

「は、はい………。」

「早速で申し訳ないんですが、コイツ………ちょっとお借りしてもいいですか?」

「は?」


コイツ?

借りていく?



(借りるって、どういうこと?)


私が鈍い回転の頭でそう考え始めるよりも早く、長友くんが素早く動き出す。


拾い集めたバッグの中身を、私のバッグにきちんと戻して。

バッグを片手に、もう片方の手は、私の手首をしっかり掴む。



逃げられない。

逃げようとする前に、捕らわれてしまう。


逃げられてしまうかもしれない。

そう思ったから、長友くんもこんな行動を取るのだろう。



こっちに来いよ。

無言で、長友くんがそう訴えかけているのが分かる。


命令じゃないか。

これじゃ、もうどうにも出来ない。



「な、な、な………んで?」

「いいから。」


私の問いには、そう短く答えるだけ。



意味、分かんないよ。

長友くんが取る行動の意味が理解出来ない。



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