ボレロ - 第二楽章 -
父は何事もなかったように、次の客と挨拶を交わしている。
とにかく、悪い状況ではないことは確かだ、それどころか思った以上の好感触で
はないか。
立ち去った珠貴を呼び戻し、父のことを話してやろう、きっと喜んでくれるはず
だ。
会場奥に珠貴の姿が見え、こっちに来てと目で合図をすると、すぐに歩み寄る姿
になった。
誰かに名前を呼ばれた気がしたが、こんな場所で苗字ではなく名前を呼ばれる
はずはないと思い直し、近づきつつある珠貴に軽く手を上げ、ロビーへ行くよう
指先を動かしていると、また声が聞こえた。
「宗さん、宗おにいちゃん」
三度目の呼びかけに、はじかれたように顔を向けると、そこには遠い記憶にある
幼顔が、大人びた顔であでやかに微笑んでいた。
「葵ちゃん?」
「忘れられちゃったかと思いました」
「忘れるわけないだろう」
そばにいた何人かが一斉に私の顔を見たのだから、思った以上の大きな声が出
ていたようだ。
彼らに失礼しましたと頭を下げながら、突然の再会の前の出来事を思い出した。
大人になった八木沢葵の肩越しに視線を走らせたが、そこにいるはずの珠貴の
姿は消えていた。
「どなたかお探しですか」
「うん……いや、大丈夫だよ。しかし驚いたね、どうしたの」
「それは、なぜここに私がいるのかということですか?」
「今日は財界の集まりだからね。
葵ちゃんが個人的に出席しているのならわかるが……」
「財界のパーティーになぜ政治家の娘がいるのか、そこがわからない」
「まぁ、ひらたく言えばそうなるけど」
「みなさまがお集まりになって、異なる業種とかかわりをお持ちになる。
新しい事業をはじめられるとなれば、いままでにない問題も発生します。
地方の場合、特に地元との兼ね合いもありますから、
潤滑油になる人物が必要のようです」
お兄ちゃんと呼びかけた人物とは到底同じとは思えない顔で、大人の事情を
語ってくれた。
祖父の八木沢敬三氏譲りの涼やかな目元は、幼い頃は寂しげな様子を見せて
いたが、今は怜悧な面差しに鋭さをくわえるものとなり、時を経て再会した
幼馴染は、想像以上の女性になっていた。
「代議士の助けがあれば、うまく事が運ぶ。そういうことか」
「はい、ひらたく言えばそうなります……
なんて、ふふっ、偉そうなことを言いましたね」
昔のように無邪気に笑い、再会後初めて見せた歳相応の顔だった。
父に付き添ってまいりました、父の秘書をしておりますと言いながら渡された
名刺には、八木沢代議士の秘書であると書かれていた。