ボレロ - 第二楽章 -


もしやお袋が彼女を呼んだのかと思っていたが、そうではなさそうだ。

では 『吉祥』 の庭で幼い顔を思い出したのは、今日の再会を予感させるもの

だったのか。



「今も 『吉祥』 へ?」


「相変わらずの年越しだけどね。覚えてる? 庭で怪我したこと」


「覚えているといえば覚えていますが、痛みや怖さは忘れました。 

怪我をしたと聞いて駆けつけたとき、私の顔が真っ赤で生きた心地が

しなかったと、今でも母に言われます」


「傷、残ってない?」


「ずいぶんわからなくなりましたけど……ここです」



額の髪をかきあげ、華奢な指がなぞる先をみると、少しひきつれた痕が見えた。

彼女の指がなぞったあとに手を伸ばし、額に指を滑らせた。

指先にざらつく感触が残ったが、目立つというほどの傷跡ではなく、けれど

人目にさらしたくないから額に髪をおろしているのだろう。

かきあげられた前髪をはらうようにして、元に戻してやった。



「ほとんどわからないよ。でも、女の子にとっては気になるんだろうね」


「ふふっ、もう女の子じゃありません。宗さんの指、ドキッとしちゃった」


「あっ、ごめん。つい……」


「『吉祥』 で会うたびに、こうやって傷の心配をしてくれましたね」


「そりゃぁ気になるよ。あんな血だらけの顔、後にも先にもみたことない」



何のためらいもなく彼女の額に手を触れたことを、指摘されてから気がつき

不自然に手を引っ込めたが、あわてているのは私だけで、彼女は言葉で言うほ

ど驚いてはいない。

幼い頃から利発な物言いをする子だったが、会わない間に落ち着きと存在感が

増していた。

元旦に葵ちゃんの顔を思い出したんだ、会える前触れだったのかな、などと、

とってつけたような会話を重ねているこっちのほうが焦りさえ感じる。



「宗さんは、あのときも優しかったけれど、いまでも変わりませんね。  

お正月にお会いするのが楽しみで、宗おにいちゃんって呼ぶと、

必ず立ち止まって、私が走っていくまで待っててくれて……」


「懐かしいね。そう呼ばれるの」


「小さい頃は、なにも考えずにおにいちゃんって言えたけど、

大きくなったら恥ずかしくて。さっきも、ちょっと恥ずかしかったんですよ。

でも、宗さんって呼んでも、気がついてくれないから」



すねたような目が上目遣いになる。

大人の顔になったり昔の仕草に戻ったり、クルクルと変わる表情を目の当たり

にして、忘れていた甘酸っぱさまで加わってきた。 



「静夏も、兄とは呼んでくれなかったから新鮮だったなぁ」


「静夏さん、テキスタイル作家としてご活躍だそうですね」


「ご活躍かどうかは怪しいけど、それなりに勉強はしているみたいだ。

いま帰国してるよ」



お会いしたいわ、お会いできますかと社交辞令ではない返事に、静夏へ連絡を

取る約束をしていると、背中からひときわ高いお袋の声が聞こえてきた。




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