さよならの魔法
持て余した時間を潰したくて、わざとゆっくり歩く。
制服を着て、朝の散歩をしているみたいだ。
いつもは歩かない道を歩く。
滅多に行かない神社に、寄り道してみる。
そうしているうちに、時間はあっという間に過ぎ去っていく。
時計の針は、午前7時45分。
そろそろ、学校に向かう時間。
私はついに、その時を迎えた。
久しぶりの学校。
ザワザワと騒がしい、通学路。
半月ぶりに見る校舎。
春の空に似合わない灰色のコンクリートの塊が、堂々とそこに鎮座している。
たまに舞う桜は、あの日を思い起こさせる。
入学式の日。
紺野くんに初めて会ったあの日を思い出す。
季節は巡って、紺野くんと出会った季節がもう1度やってきて。
私の名前と同じ季節が、再び戻ってきて。
あの日と同じ様に、薄紅色の花びらがヒラリヒラリと舞い落ちた。
(もう、あれから1年も経つんだ。)
どこか懐かしい、不思議な気持ち。
中学生になったあの日、私は初めて紺野くんに会った。
笑顔がとても爽やかな、同い年の男の子。
一瞬で、私の心をさらっていった男の子。
1年間という時間は、決して長い時間ではない。
長い長い人生の中では、きっと短く感じてしまう時間。
それなのに、この1年間はやけに長く感じたのだ。
幸せで。
とても幸せで。
桜が舞う季節に始まった初めての恋は、満ち足りた幸福な時間を私にもたらしてくれた。
生きていて良かったと、生まれて初めて思えた。
明日が来るのが楽しみだと、そう思えた。
私が知らなかった小さな幸せを教えてくれたのは、紺野くん。
紺野くんと、今年も同じ教室で過ごしたい。
今年も来年も、紺野くんと同じ空間に存在していたい。
例え、何も話せなくても。
紺野くんが、私の名前を覚えてくれていなくても。
初めて出会ったあの日のことを、紺野くんが忘れてしまっていたとしても。