殉愛・アンビバレンス【もう一つの二重人格三重唱】
 本来の意識を取り戻した翔は東大に合格した。

その名前がどちらなのか解らない。
だけど薫にはどちらでも良かったのだ。

高を括ったのだ。

合格したのは翔だと、思うようにしたのだった。


薫は考えた。
翼として、大学に通っても問題はない。
と――。


やっとそう思えてきたのだった。


翼は翔から、肉体も精神も奪っていたのだった。

それは……
母である薫と堀内家の人達を愛するためだった。

翼の心は大樹のような慈愛に溢れていたのだった。




 翔が翼に憑依されて生きていても、薫として生きて来た香にとって翔は翔だったのだ。

愛する孝との間に授けられた、一人息子の翔だったのだ。


誤って殺害した薫。
その一人息子をも殺してしまったと言う過酷な運命。
その渦に巻き込まれながらも、孝だけを愛した香。

その生き様は殉愛そのものだった。


陽子や摩耶のように、夫を激しく愛しながら生きていたのだった。




 陽子は何気なくポケットに手を入れた。

その瞬間レコーダーのスイッチが入った。


『陽子ー! 逃げろー!』

翼の声が響きわたった。

陽子は地面に突っ伏し、激しく泣きじゃくった 。


「そうよ。翼は今まで生きていた! 私を守るために生きていた!」
陽子は渾身の気持ちを込めて激しく地面を叩いた。

節子は陽子を見守るしかない自分を責めながら、抱き抱えていた。




 この異様な光景を、愛の深さ故だとマスコミは報道した。

警察は陽子が、姑による睡眠薬強姦事件の被害者だという事実を隠した。

これ以上マスコミの晒し者にさせたくなかった。

この事件の一番の被害者は陽子なのだから。




 「お母さん。私この子を優しい子供に育てたい。翼に負けない位優しい子供に」

ようやく立ち上がることの出来た陽子は節子の手を握り締めた。



陽子が翼の大きな愛によって生かされたように、自分も負けない位大きな愛を産まれてき来る我が子に捧げようと思った。


翼が運命だと言った自分との出会い。

この子にもそんな日が訪れることを思いつつ、陽子は小さな翼に手を合わせた。


『お前が憎い! 翼を変えたお前が憎い! 努力もしないで出来る奴を焚きつけやがって!』

翔は確かにそう言った。

でも翔は気付いていたはずだ。
自分自身が翼なのだと。
ただ、認めなくなかったのだ。

愛する妻の摩耶以外の女性とのふれあいの全てを。





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