真夜中に口笛が聞こえる
「特上蕎麦セット」

 独り言のように、箱に書かれた文字を読んだ。いや、現に独り言なのだが。

 作業で疲れたのか、蕎麦つゆに浸した冷たいざるそばを想像してしまう。

 人に贈呈するものだと理解してはいるが、信一郎は無性に食べたくなった。

 流れてきた汗を、タオルで拭う。

「美咲、美佳。まだか」

 こんなものを眺めていると、もうどうにかなりそうだった。
 とっとと挨拶を済ませて、雑念を打ち祓いたい。


 信一郎が向かいの家の方を向くと、そんな様子ですら、男が窺っているように見えた。
 再び母子がいる奥の部屋に目を向ける。慌ただしく動き回る二人の姿が見えた。


 そんな時、である。
 ふいに、口笛が聞こえてきたのだ。


 口笛の聞こえる方に、反射的に振り向くと、さっきの男がガーデニングを始めていた。

 もう、こちらを見ている様子もない。楽しそうに、プランターに土を補充している。


「お待たせ」

 ようやく妻と娘が出てきた。具体的に何が変わったのか、信一郎には判らなかったが、取り合えず聞かないことにした。

「よし、行こうか」

 信一郎は特上蕎麦セットの固い箱を妻に手渡し、三人揃って玄関から出た。

 美咲が真新しい鍵穴に鍵を通す。
 カチャリと閉まる音をしっかりと聞いて、三人は歩き出した。
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