真夜中に口笛が聞こえる
 影はライターをゆっくりと近付ける。

 ゆらゆらとゆれる炎に、自由を奪われたその表情が照らされる。

 年老いた女であった。

 恐怖、そして哀願。


「……ヤメテ」

 ──そう言ったのかもしれない。影は躊躇した。

 しかし、ガソリンの染み込んだ体は炎を吸い寄せ、容赦なく燃え移り、表面に広がる。引火したそれは、全身を反らせ、ギリギリとベッドを激しく揺さ振った。


「燃えろ、燃えろ。焼け死んでしまえ。苦しんで、苦しんで、苦しんで……」

 影は口を開く。絞り出すような、女の声のうねり。

「オカアサン」

 女の子の声がした。それは、燃え上がるそれから、発せられた。

 影が硬直する。

「オカアサン、オカアサン……」

 確かに聞き覚えのある声だった。影の耳元に容赦なく入り込み、共鳴する。炎に照らされた影は耳を塞ぎ、ガタガタと体を震わせ、その場に崩れた。影は三十代後半の女であった。

「あああ、ごめんなさい。ごめんなさい……。貴方を救うため、助けてあげるには……この方法しかなかった。なかったのよ。ああ、分かって。ああ、何て事を……。恐ろしい」

 やがて、それが動かなくなるまで、女はそこに居続けた。炎が部屋中に広がるに至り、漸く立ち上がる。

「全ての真実をきちんと伝えたら、そっちに行くから。だから、お願い。それまで待っていてね」

 そう言うと、女はその場から静かに去った。
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