真夜中に口笛が聞こえる
 ──事件の二年前。


 フリージャーナリストの金山静江は、今日もみっちりと詰まった取材予定と原稿の作成に追われていた。

 静江は古い二階建てのアパートに娘と二人で住んでいる。一階なのだが、所々体重を掛けると、キイキイと軋む床がある。

 徹夜になった朝、仕事に出掛けるためノートパソコンを閉じる。洗面所の鏡の前に立ち、急いでボサボサの髪を解かすと、髪の毛が櫛に引っ掛かり、ブチッと切れてしまった。すぐに諦めて手で解きほぐすと、ほぼ毎日着ているベージュのスーツで身なりを整えた。

 静江はキッチンへ行き、テーブルに肘を付くと、黒いサインペンを軽く握る。キッチンでひとり、娘に置手紙を書くためだった。

 振り向くと、ふすまの隙間からは、気持ち良さそうに眠る娘の姿が見える。

 もう小学生だった。本当に苦労を掛けている。
 このマンションの家賃を払いながら、静江は一人で頑張ってきた。自業自得だとも思っている。しかし、巻き込んでしまった娘が、不敏でならなかった。だから、自分が何とかするしかないというのは、堅い意思だった。

 スウスウと娘の寝息がキッチンまで届く。何と無く匂いを嗅いでみると、表情が自然と緩んだ。

 テーブルの上には、新聞から抜き出した広告が置かれている。静江はその何枚か裏返し、何も印刷されていないツルツルの面を見付けると、手速く広げた。キャップを外し、先程ほぐした筈の頭をガシガシと掻きながも、姿勢良く座り、ペンを走らせた。
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