真夜中に口笛が聞こえる
 自宅に戻るまでに、にわか雨にあった。濡れた頭を気にしながら、玄関からキッチンに入ると、信一郎に背中を向けて、美咲が料理をしている。

「ただいま。美佳は?」

「あら。お帰りなさい。美佳なら、自分の部屋で宿題やってるわ。どうしたのかしら、あの子、最近元気がないみたい」

「そう」

 信一郎が力なく返事をすると、菜箸を持ったまま、美咲がようやく振り向く。

「ところで、今日、どうだった? 越石先生の所へは行ったんでしょ?」

「うん……、そのことならまた、シャワーを浴びてから、ゆっくりと話すよ」

 信一郎は無意識に鞄を置き、背広を掛ける。そのまま脱衣所で服を脱ぐと、風呂場に入り、シャワーのコックを捻る。

 まだ温かくもない強烈な水流が、信一郎の背中を打つ。
 体を這い、分岐した流れが、左腕を巻いてゆく。

 その先にはどす黒く変色し、水脹れだらけとなった皮膚があった。

 信一郎がその水脹れの一つに触れると、魚の目玉のように凹んで、なかなか戻ってはこない。
 今度は指先で摘む。すると、中で浮き出てくる何かがあった。

 信一郎は凝視する。

 シャワーの水流音が、いつしか信一郎の周りを、無音状態にする。

 小さな芽だった。アサガオのように、地中に顔を埋めている。

 一斉に音が溢れ、鼓膜に訴えかけた。

 信一郎は目をつむり、水流を顔面に受け止める。そして後頭部へ。

 髪の毛からゲジゲジのように両側から垂れた水が、排水口の網の目に吸い込まれるように落ちる。

 信一郎は壁に額を付け、シャワーを止めた。

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