ピエモンテの風に抱かれて

「うそよ。嘘でしょう? 私にはわかるんだから」



龍はハッとした表情で自分の左手をジッと見つめている。そして小さな声で、参ったよ…、と呟いては目をギュッとつむった。



「さすがジュリだな…」



「人の癖って何年たっても変わらないのね。だから本当のことを言って」



「分かった。正直に言う。ミヤを家まで送ったあと、一晩だけ一緒に過ごした」




− やっぱり…! −




樹里の顔が青ざめる。慌てた龍はすかさず弁解に走った。



「でも誤解しないでくれ! ミヤに帰らないでとせがまれて、どうしようもなかったんだ。ただ泊まっただけで何があったわけじゃないんだ!!」



全力で否定する龍だが、樹里の猜疑心は晴れるわけがない。



「キスをしてきた女性と一晩中一緒にいて何もなかったっていうの? そんなの信じられない!」



龍が言葉を挟む暇もなく、樹里は訴え続けた。



「そうよ…、ミヤさんだけじゃないわ。芸能界には綺麗な女の人がたくさんいるじゃない。あの女子アナにだって気安く触ったりしてたわよね? あなたがクラブに通ってるとか女優と不倫してるとか、良くない噂もたくさん聞……、本当は他にも……」



「ジュリ!!」



今にも泣き出しそうになって後退りしようとする樹里を、龍は再び力強く抱きよせた。



「そんなのどこで聞いたんだ? 全部誤解だ! クラブなんて役作りのために行っただけだし不倫なんてとんでもない!!
そもそも俺には恋愛どころか女遊びしてるような時間なんてなかったんだ。テレビでも言っただろう? それは本当だ」



龍の胸の中で樹里はハッとした。飛鳥に言われたことを思い出したのだ。弱小プロダクションを支えているのは他の誰でもない、彼本人だったということを。



「そう…よね、あれだけ仕事をこなしてるんだもの。プロダクションには他に売れっ子がいないって聞いたし」



それを聞いてホッとした龍は、腕を少し緩めて再び樹里に視線を落とす。



「その通りさ。ジュリは昔、俺に言ったことあるよな? 浮気の一つもしなくて本当に変わってるって。俺は別に女嫌いってワケじゃない。でもその前にやりたいことが沢山あるんだ。全然昔と変わっちゃいない。こう言えば信じてくれるか?」



その言葉と共に放たれる真剣な眼差しに、到底嘘はついていないだろうとあらぬ不安が溶けていくと、やっと首を縦に振ることができた。



「…じゃあ私、リュウの恋人に戻っていいの?」



「戻るもなにも、最初から恋人だろ?」



「本当に? そう思っていいの…?」



その時、見つめ合う二人の間に特別なものが生まれた。お互いを求め合うという人間本来が持つ自然な感情。おのずと唇を重ね合わそうとした瞬間……




< ……♪〜〜 Flash!! ah〜… >




その場にあつらえたかように鳴り響く着信音。二人の耳は同時にその音楽を捕らえていた。廊下に置きっぱなしにされた龍のバックの中からだった。




< …ー♪ he's a miracleー!!>




鳴りつづける激しいロックに邪魔をされる。樹里と龍は視線を合わせながら、お互い苦笑せずにはいられない。



「おいおい信じられんねぇ! 何でこのタイミングで鳴るんだよ!? …あーあ、でもカオルさんからだよ。出ないワケにいかないな〜。ちょっと失礼」



ハァ〜、と大きく息をはいて仕方なく携帯に手を伸ばした龍は、仕事モードのキビキビとした態度で対応を始めた。



「お待たせしました、リュウです。先ほどはありがとうございました。…………え? 何ですか? 本当ですか!?」



龍はひどく驚いた様子で送話口に手を当てると樹里に向かって叫んだ。



「ジュリ! 明日のマチネ、カオルさんがチケット取ってくれるって言ってる!!」



「マチネ? 明日のお昼のミュージカル?」



「これは凄いよ! 連日完売で、VIP用のチケットもほとんど残っていないのに」



龍の喜びようとは裏腹に、飛鳥を一人で残してきたという樹里の困惑は募る一方だ。



「で、でも私、いいかげん仕事に戻らないと…」



「おいおい、先輩は明日の夕方までいいって言ってただろ?」



そう言うと、再び携帯に耳を当てて薫に返事をした。



「カオルさん、ありがとうございます。チケット取っちゃって下さい! よろしくお願いしまぁーーす!!」



飛鳥からの電話同様、勝手に話をまとめてさっさと切り上げる。そして自慢げに目を輝かした。



「あー、良かった。実は俺も同じこと考えてたんだ。ジュリに観てもらいたいけど、チケットどーしよーかって!」



「ねえ、やっぱり困るわ。観たいのは山々だけど…」



納得のいかない龍は少し面白くなさそうな顔をしたが、再び説得に走った。



「なんだよ〜、真面目なのも変わってないんだなあ。よし! 観に来てくれたら、明日はジュリの為に演じるよ?」



「私のため…に? ……え?」



そう言われた樹里の頭に、突然過去の記憶が蘇った。龍が演劇コンクールの個人賞に挑戦すると言った、あの時のことを −。


















− 「それで賞を取ったら好きな物をプレゼントするよ」 −

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